こうして、多くの人から友達と認められる(承認される)人と、そうでない人との格差が生まれる。選ばれなかった方は、単純に孤独を感じることになる。

 では多くの人に認められる人は楽しいかと言えば、そうとも言い切れない。多くの友達を持った場合は。単純にその維持が大変になってくるからだ。見かけ上、友達を作るのは簡単になったかもしれないが、本来、友情関係を維持することはとても気力がいることだ。それを維持するためには、当然気疲れが生じるし、冒頭の「友達だからこそ、余計に気を遣う」という状況が生まれてくる。

「友達だからこそ気を遣う」というのは、衝突を避けるコミュニケーションをなるべく選ばざるを得ないという側面もあるだろう。例えば、ケンカして仲直りすることで、お互いの理解が深まる、というような、ある意味で昭和の体育会系的付き合いが無効になっているということだ。今は気に入らない相手とわざわざ仲良くなるきっかけがない。

 こうして、どうしても衝突を避ける方向に進み、大人で言えば「行きつけのお店の常連客」的な軽い人間関係を多くの人と結ぶことになる。環境に応じて必要な処理なのかもしれないが、先ほどの国語辞典的な意味での「友達」からは遠くなるばかりである。

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