前回述べたように、アトラス山脈から南はベルベル人の土地で、そこを回るツアーはベルベル人の旅行業者が運営している(ベルベル語を話さない人間は信用されないから、アラブ人の業者は参入できない)。それに対して、取り締まる側の警察官のほとんどはアラブ人だ。
その結果、カスバ街道での交通取締りは「アラブ人」対「ベルベル人」という民族対立に転化してしまう。ベルベル人の旅行業者が取締り情報を交換するのは、「俺たち」を「奴ら」から守るためだ。パッシングによって交通取締りを教えるのは、「奴ら」に無駄骨を折らせるためだ。

このようにしてカスバ街道では、日々小さな“民族紛争”が積み重なっていくのだ。
「支配」と「被支配」の関係
これまで世界のあちこちで検問を受けたことがあるが、外国人が同乗していると警官は無茶なことをしない。ドライバーに難癖をつけて小遣い稼ぎをしようとする警察官も多いが、外国人の前で露骨に賄賂を要求するわけにもいかないから、車内を覗いた瞬間に興味を失うことも多い。
だがモロッコの警察官は、アジアの警官とくらべてかなり高圧的だ(というか、けっこう怖い)。対するヨセフも卑屈な態度はいっさい見せないから、日本のように互いに愛想笑いで場を丸く治めようとする国から来るとかなりドキドキする。声を荒げるようなことはないが、いつ殴り合いが始まってもおかしくない緊張感があるのだ。アラブ世界では面子がなによりも大事で、相手にはぜったい弱味を見せないのだ。
ベルベル人の気のいいガイドとカスバ街道を走っていると、警察官から無理難題を押し付けられる彼らについ同情してしまう。だがよく考えると、警察の側にも取り締まる理由がある。
ヨセフが自ら認めたように、2泊3日の砂漠ツアーはスピード違反が前提になっている。カスバ街道を走っている旅行会社の車のうち、交通ルールを守っているのは皆無だろう。

モロッコは観光業にちからを入れており、「マラケシュ-サハラ砂漠-フェズ」は外国人観光客の多くが利用する黄金ルートだ。そこで重大な事故が起これば、観光業が深刻なダメージを受けることは間違いない。そうであれば、カスバ街道でスピード違反が常態化していることに警察が危機感を持つのは当然だ。
ツアーの車に三角板などの安全義務を課したり、旅行者のために薬を常備するよう定めるのも、観光重視の政策から理解できる。だから一概に、「理不尽な規制でベルベル人が迫害されている」と決めつけることはできない。
だが問題は、ここに「支配」と「被支配」の関係が加わると、合理的な規則が対立を助長してしまうことだ。アラブ人の警官は規則を厳格に適用することで一人でも多くのベルベル人旅行業者を摘発しようとし、ベルベル人たちは情報網を活用してそこから逃れようとする。そしていつの間にか、肝心の「安全」は置き去りにされてしまうのだ。
次のページ>> 「俺たち」と「奴ら」との間
|
|