前編ではビッグデータを収集するためのポイント・プログラムの危険性を紹介した。しかしマクナーニ氏は、ビッグデータ不要論は一時的なものであり、今後の競争には欠かせないツールだと説く。強力な武器となりうるビッグデータを、日本企業は正しく活用できるだろうか。
 

ビッグデータは不要なのか

 ――日本でビッグデータをうまく使っている企業はありますか。

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Paul McInerney
(ポール・マクナーニ)
マッキンゼー・アンド・カンパニー プリンシパル。京都大学法学部卒業。アジア太平洋地域におけるマーケティング・営業グループのリーダーとして、消費財・小売、家電、通信、メディアなど、さまざまな分野の企業を支援する。特にマルチチャネル戦略、CRM、プライシング、消費者インサイトを重視した製品開発などの領域におけるコンサルティングに従事。日本在住23年。ツイッター:@paulmcinerney

 本格活用できている企業は一部だけで、まだまだ実験段階の企業が多いように思います。データ・サイエンティストも絶対的に不足している状況に変わりはありません。ビッグデータが話題になってからも、教育サイドの動きは非常に鈍いです。専門的な研究機関は、いまだに統計数理研究所くらいしかないのではないでしょうか。10年ほど前には、環境学科などが軒並み設立されましたが、なぜビッグデータについて、統計学部でいいからつくらないのかと思います。そうした教育サイドからの供給面での問題が解消できなければ、別の手段を講じる必要があるでしょう。
 分析エンジニアを海外に確保して、彼らとの橋渡し役を増やすというのは一つの手です。統計分析の概念を理解し、ビジネスについても把握している英語と日本語の両方ができる人が、5000億円規模の企業であれば10人程度いればいいと思います。そうした人たちが、いくつかの部門と対話することで、戦略に従った分析設計をし、海外のエンジニアを使いながら結果を出せばよいのです。実際の分析はしなくても、指示ができるレベルの人材を増やすことは可能ではないでしょうか。インドや東欧のエンジニアを雇うのであれば、人件費もかなり抑えられます。

 ――一方ではビッグデータ不要論も聞こえてきます。

 それはある種の反動と言えると思います。ビッグデータを活用できるようになると、その効果というのは確かに実感できるでしょう。5年~8年くらいはそうした効果は生まれ続けると思います。活用を進めるほど、多くのデータが集まり、どんどん高度な分析も可能になってきます。そしていろんな分析の切り口が生まれてくるのですが、あるタイミングでデータ過多になって判断がつけられない、いわゆる分析麻痺(Analysis Paralysis)という状態が生まれてしまいます。
 たとえばある切り口では、Aという商品の割合を増やした方がいいという結果が得られたものの、別の切り口ではBという商品を増やすべきという結論が得られ、他の切り口ではまた別の結果が出る。そうなった場合、何を判断の根拠にしてよいのかわからなくなってしまうのです。データを重視しすぎるとそうした分析麻痺が起こるので、そこでまたデータとは正反対の直感が重視されるようになるのです。振り子の揺り戻し現象ですね。
 日本ではまだビッグデータを活用しきれていないので、そういった意味での不要論は出てきていません。しかし前回もお話した通り、分析できる人材がいないためにデータ収集のコスト面が強調されてしまい、何の効果も得られないとみなされ、ビッグデータ不要論が口に上るようになりました。活用してみなければ本当の効用はわからないものですが、今のビッグデータ不要論は一時的なものであり、実際に経営に活かすことができれば、そうした意見は下火になるでしょう。