チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュース が絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。「アラブの春」に成功したかに見えたエジプトが、今なお混乱の最中にあるのはなぜなのか。今回と次回の2回にわたって、中東研究家の尚子先生がわかりやすく説明します。
前回説明しました「アラブの春」と呼ばれる民衆による抵抗運動で、運動が成功し、長期政権が崩壊した2番目の国がエジプトでした。

“旅行に行けそうもない国”になった観光立国エジプト
エジプトで抵抗運動が始まったのは、チュニジアの運動開始から、約1カ月後の2011年1月25日でした(そのため現地では、「1月25日革命」とよばれています)。30年にわたるムバラク長期政権を崩壊させることとなるデモの発端は、ある若者がフェイスブックで「25日では近すぎるかな?」と、デモ参加の呼びかけたことにあるといわれています。
こうした若者によるフェイスブックやツイッターの使用が強調され、「進んだ若者たちによる民主的な革命」というイメージが、各国メディアによって華々しく全世界に伝えられました。そして、そんな若者たちの主導する政治運動なら、すぐに政情は落ち着き、エジプトの未来は明るいのだろうと誰もが思いました。
ところが、革命から3年経った現在でも、政治状況は一向に落ち着かず、「危険で旅行に行けそうもないエジプト」という状況がすでに定着しつつあるようにみえます。
エジプトの状況をわかりにくくしたのは、若者たち主導の運動というイメージを強調しすぎたためではないかと思われます。今回と次回の2回にわたって、エジプトの革命の背景と革命に参加した人々を簡単に整理し、把握しなおしてみたいと思います。
かなり大雑把ですが、革命時に重要な役割を果たした人々を分類してみると、以下のようになります。
1) ムバラク政権: 世俗主義+親米
2) 若者: 世俗主義+親米&反米(どちらも可)
3) 軍: 世俗主義+親米
4) イスラム系宗教団体: 宗教的+反米
(ムスリム同胞団など)

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