歴史を周縁から眺めるといろいろと面白い発見がある。ここ何回か、ビザンティン(東ローマ)帝国とギリシア正教の視点からヨーロッパ史を再解釈してみた。そこでは、ビザンティン帝国はギリシア人の国で、初期キリスト教はギリシア人の宗教で、モスクワは第三のローマだった。
[参考記事]
●「キリスト教の正統は、ローマではなくロシアにある」バチカンが隠ぺいしつづける不都合な歴史
EU(ヨーロッパ連合)は現在、ウクライナ問題をめぐってロシアと緊張関係にあるが、もうひとつの重大な外交課題にトルコのEU加盟問題がある。私はこれまで、トルコがなぜEUへの加盟を希望するのかがよくわからなかった。
EUは第二次世界大戦後の冷戦構造のなかで、ソ連とその衛星国に軍事的・経済的に圧迫された西ヨーロッパ諸国の互助組織(経済共同体)として発足した。統合の原理はリベラルデモクラシーだが、その建前の背後には「ヨーロッパ」「キリスト教」という暗黙の了解がある。それに対してトルコは、世俗主義の民主政国家とはいえ、「アジア(中東)」「イスラム」というイメージに色濃く染められている。
トルコは1963年にEUの前身であるECC(欧州経済共同体)への加盟を申請したが認められず、87年にはEC(欧州共同体)に加盟申請し2005年に加盟交渉がスタートしたものの遅々として進んでいない。

一般にトルコのEU加盟問題は、貧しい国がゆたかな地域との一体化を求めているのだと解説されることが多い。だがそれだけの理由で半世紀も加盟を求めつづけるだろうか。トルコの経済力は、いまでは低迷する南のヨーロッパの国々を超えているのだ。
トルコの加盟申請の背後には、「自分たちはEUの一員であるべきだ」という感覚があるはずだ。国民国家の行動原理はナショナリズムなのだから、「貧乏な私をどうかお金持ちの仲間に入れてください」などという交渉ができるはずはない。
だとしたら、その正統性とはいったい何だろう。
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