もしヒトラーが
違う戦略を採っていたら

アドルフ・ヒトラー(パリにて)

 第2は、ヒトラーに関するifである。

 この「if」は、軍事と歴史に詳しいアメリカのジャーナリスト、ベヴィン・アレクサンダーが論じている。もしも、1941年当時、ヒトラーがソ連への正面攻撃ではなく、北アフリカへの侵攻を行っていたら、ヒトラーが勝利していたのではないかというのだ。

 40年6月にドイツ軍の侵攻によりフランス共和国が崩壊した後、イギリスは本土防衛に注力するため、エジプトとスエズ運河を機甲1個師団のみで防衛していた。一方のドイツは、北アフリカに装甲20個師団を有していた。しかも、同月イタリアが英仏に宣戦布告し、イギリスは窮地に陥っていたのである。

 仏領北アフリカ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)はドイツ傀儡のビシー政府が支配しており実質上枢軸軍の占領下だった。この流れのままだったら、イギリスは地中海の放棄を余儀なくされていただろう。ドイツ、イタリアが地中海の各国を制圧し、ギリシャや隣国ユーゴスラビアはドイツとの和平交渉を始めざるをえなくなっただろう。

 そして、ドイツはスエズ運河の占領、中近東からイラク、イランを抑えて、戦争遂行に不可欠な石油を無尽蔵に入手できるようになったに違いない。中立国のトルコが孤立し、イギリスのインド支配も脅かされることになったはずだ。さらには、コーカサスとカスピ海沿岸にわたるソ連の油田地帯もドイツ軍の視野に入ってきただろう。

 しかし現実には、ヒトラーは1941年6月にソ連への侵攻を突如開始し、そのために地中海の空軍を引き抜いた。そうなるとさすがのロンメルも苦戦を強いられ退却、さらにアメリカが参戦し、「トーチ作戦」によって枢機軍は1943年5月に降伏することになったのである。

 アレクサンダーが語るように、ヒトラーがソ連と戦火を交える直接戦略ではなく、北アフリカ侵攻という間接戦略を採っていたら、第2次世界大戦の結果は一変していたかもしれない。