機動戦の立役者パットン

 アイゼンハワーとモントゴメリー。アメリカとイギリスを代表する司令官の間の確執は、ノルマンディー上陸作戦の遂行に微妙な影を落としていた。

野中研究室の本棚に飾られているパットン将軍のフィギュア(右側)

 こうした連合軍内部のもやもやを晴らした男がいる。猛将パットンである。

「動」のアイゼンハワーにとって、猪突猛進タイプの典型であるパットンは、機動戦を遂行するうえでまさにうってつけの指揮官だった。

 パットンは1943年のハスキー作戦の際、シチリア島に上陸したときに起こした暴力事件で、司令官を解任されている。パットンはイギリス勤務を命ぜられたが、アイゼンハワーはこの5歳年上の旧知の将軍は、フランスへの上陸侵攻作戦では絶対に活躍の場が巡ってくると認識していた。

 実際、ノルマンディー上陸作戦では、Dデイ当日の実戦部隊からは外したものの、イギリス国内でドイツ軍を攪乱するために設けられた幽霊部隊の司令官に任命して、彼を実戦に登用する機会を待っていたのである。

 アイゼンハワーがそのパットンを、アメリカ第3軍の指揮官として指名したのは、Dデイの翌々月、8月1日のことだった。パットンは、6月中旬にはフランスの地を踏んでいたが、パ=ド=カレー付近が主戦場になるとドイツ軍に信じ込ませるため、しばらくは幽霊部隊のトップのままでいた。

 イギリス・カナダ軍が、カーン東方から強力な攻撃を仕掛けてくるドイツ軍との戦いに疲弊していく中、ノルマンディー海岸西方からシェルブール港、ブルターニュ方面への攻撃を担ったパットン率いる第3軍は、パットンのそれまでの思いを晴らすかのように、ドイツ軍を蹴散らしていったのである。

 パットンの指揮スタイルは独特であった。敵の現在位置と配下のすべての部隊の現在位置を正確に把握するため、第6騎兵群という独自部隊を編成している。13の偵察小隊から成り、強力な無線機を搭載した装甲車両とトラックの部隊が、パットンの目となり耳となって戦場に散って行った。

 時には、組織の階層を無視して命令を下すこともあった。軍司令官のパットンの下には、軍団、そして師団という具合に組織が分かれ、それぞれの指揮官がいるのだが、直接師団に命令を出したこともあった。第8軍団のミドルトン軍団長の命令と矛盾する指示をパットンから受けた第6機甲師団のグロウ師団長が迷っている現場に出くわしたパットンは、「そういえば、軍団長は歩兵あがりだったな」とつぶやき、グロウ師団長に自分の命令を優先するように指示をした。歩兵あがりのミドルトンは慎重に事を進めるタイプだが、騎兵あがりのパットンは勝機があると思えば猛進する。

 時に混乱が起きようとも、機を見て迅速に動くことを徹底した「騎兵あがり」のパットンは、機動戦を得意とするアメリカ軍の象徴的な司令官であった。(つづく)
 

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