池上彰さんのコラムを掲載拒否した、と聞いて「なんてバカなことを……」と絶句した。従軍慰安婦報道の検証記事をきっかけに朝日新聞への批判が沸騰している。週刊誌の記者からコメントや見解を求められるが、私は「社の対応の拙さ」に苛立ちながらも、「朝日批判の合唱に加わるつもりはない」とお断りしてきた。

 だが、「掲載拒否」はジャーナリズムの一隅に身を置くものとして見過ごすことはできない。朝日新聞にとっても、火に油を注ぐ愚挙だった。なぜ、こんな硬直した対応になるのか。この会社で記者教育を受け、定年まで取材現場にいた立場から、社の体質と、取り巻くメディアの構造問題を考えてみた。

なぜ今まで検証の機会を逃したか

 8月5日の検証記事「慰安婦問題 どう伝えたか」を読んで、社内問題としてくすぶっていた「厄介ごと」が、とうとう公の場に出たか、という印象だった。

 済州島で強制的に慰安婦をかき集めたという吉田清治氏の証言を「虚偽」と判断し、「記事を取り消す」とある。記事取り消しは、尋常なことではない。致命的なミスを認めることだ。編集幹部がそれなりの覚悟を決めて踏み切った、と思った。そんな「英断」が、なぜか紙面の片隅の「読者のみなさんへ」という囲みに小さく書かれていたのは不思議だった。

 虚報を認める覚悟と、逃げ腰の表現。この落差に、朝日新聞の苦悩がにじみ出ているが、読者にとって不親切きわまりない。取り消す記事とは、いつ何を書いた、どの記事なのか。お詫びの言葉さえない。

 朝日がはじめて吉田清治氏を取り上げたのは1982年だった。大阪での講演の内容を大阪社会部の記者が記事にした。90年代初頭まで「慰安婦の強制性」を語る傍証として何度か記事になった。秦郁彦氏の調査などで「つくり話」の疑いが浮上したのは92年4月。それから22年が経っている。「訂正」する機会はあった。

 97年には、一回目の慰安婦問題の検証が行われた。この時、事実確認を求めた記者に吉田氏は面会を拒否した。紙面には「真偽は確認できない」とだけ書かれた。この時、どこまで真相に迫ろうとしたのか。以後、朝日は吉田証言に触れていない。

「危ない話だから、もう取り上げない」という暗黙の措置だった、といわれる。実情を知るのは一握りの関係者だけ、社内の「ひそひそ話」で終わってしまった。