延命治療で「安らかな死」は迎えられない
本人・家族の間で増える“病院離れ”

 ここ最近、病院で最期を迎えたくない本人や家族が増えて来ている。病院は治療の場であるから、少しでも長く生きながらせようと病名を付けて治療にあたる。口から食べられなくなると胃に穴を開けて栄養剤を流す。胃瘻(いろう)である。呼吸が難しくなると人工呼吸器の装着や気管切開を施し、酸素不足に陥ると酸素吸入器を取り付け、腎臓が不活発になると人工透析で対応する。いずれも延命治療と言われる医療法である。

 胃瘻の造設者は42万人ともいわれる。欧米ではほとんど見られない。日本だけ突出している。欧米では、「もう一度口から食事が摂れる可能性があるときしか胃瘻を作らない」とよく聞かされる。

 延命治療を施すと、安らかな死を迎えられなくなるのは医学の常識だという。脳内モルヒネと言われるβエンドルフィンが放出されなくなるからだ。自然死であれば、その「幸せ感」効果で極めて平穏に亡くなることができるという。

 QOL(生活の質)も延命治療で損なわれる。体が受けつけない栄養分や水分を無理やり注入すると、心身に異変が生じるのは当然。その最期は醜く「溺れ死」と表現する医師もいる。

 親や祖父母が病院のベッドで胃瘻を含め様々なチューブでつながれたまま息を引き取る姿を見て、「可哀そう」「無残な姿で忍びない」と思う家族は多い。

「昔は穏やかな看取りができたのに」「自然な死に方があるはず」という声が病院死に接した家族から広がりつつある。「次は病院に連れて来たくない」と決心して病院離れが徐々に進行している。

 胃瘻への反発はその典型例だろう。「病院が施す当然の医療行為」と見られていたが「実は延命治療」と認識され出し、病院死そのものへの疑問につながる。「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一著)、「平穏死のすすめ」(石飛幸三著)など「終末期に病院治療は不要」と断じる医師たちの著作がベストセラーとなったのは、意識変化が患者家族に止まらない表れだ。

 自宅や集合住宅に積極的に訪問する診療所の医師の活動が盛んになり、市民の間に在宅医療への理解が深まりつつあることも病院離れを加速させている。

「大病院信仰――どこまで続けますか」の著者、長尾和宏医師は「大病院は専門医だらけ。そんなに沢山いらない」と記し、大病院のあり方に疑問を呈す。尼崎市で町医者として多くの看取りを経験してきた。総合的な診療とは程遠い大病院と比較した医療者の発言は重い。

 また、首都圏で診療所をチェーン展開する佐々木淳医師の著書は「点滴はもういらない」。「病院で医療によって管理される死は自然なのだろうか」と問いただす。