日米両政府は10月8日「日米防衛協力のための指針」(ガイドラインズ)改定の中間報告をまとめた。1960年1月に結ばれた日米安全保障条約は「日本の安全又は極東における国際の平和及び安全」を目的としているが、今回の中間報告では、従来の「指針」にあった「周辺事態」を削除するなど、地理的な制約を外し「同盟のグローバルな性質」を反映して協力範囲を拡大するとしている。

 また日本が攻撃されていない場合でも「米軍の装備品等の防護」を自衛隊が行う方針が示されており、もしグローバルに展開している米軍艦や航空機、戦車などを防護することになるのなら、世界のどこでも戦闘に加わることになりかねない。もしこの中間報告通りに「指針」を改定するなら、その前に安保条約の改定が必要なはずで、「集団的自衛権行使」による自衛隊海外派遣には、本来なら憲法改正が必要なはずであるのと同様だ。

指針はどう変容してきたか

「日本防衛協力のための指針」は日米の外務、防衛当局の局長級と米軍、自衛隊の代表で構成される「防衛協力小委員会」がまとめ、両国の外務、防衛担当閣僚4人の「日米安全保障協議委員会」が了承して決定する。中間報告は小委員会で日米が合意した改定の概念、方針を述べたもので、今後詳しい条文にし、今年中に決定となると見られる。

「指針」が最初に作られたのは冷戦さなかの1978年11月で、当時中国はソ連と対立し、米国、日本に接近していたから、「指針」はもっぱらソ連軍の日本(特に在日米軍基地)攻撃に対する日米の共同防衛を念頭に置いて書かれていた。また当時ソ連海軍は太平洋に潜水艦約110隻を配備し、うち弾道ミサイル原潜約30隻がオホーツク海から米本土を狙う態勢にあり、米空母群に対抗するため対艦ミサイル搭載の爆撃機約100機を極東に置いていたから、米軍にとっては西太平洋での制海権確保のため、海上自衛隊の協力を求める「シーレーン防衛」が重要課題で、その研究を進めることが書き込まれた。一方、「日本以外の極東における事態で、日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力」(米軍への後方支援)については、ほんの数行だけで「日米安保条約、その他の関連取極め、日本の関係法令によって規制される」という素っ気ない内容だった。最初の「指針」では安保条約や地位協定の趣旨が守られていたと言えよう。

 これが改定されたのはソ連崩壊の6年後の1997年9月で、冷戦終了で米本土に対する攻撃や日本に対する本格的侵攻は考えにくい状況となったため、この「指針」では同盟関係を維持する理由に「共通の価値観」とか「不確実性が存在」といった莫とした言辞が散りばめられた。ただ、北朝鮮はソ連が1990年、中国が92年に韓国と国交を結び孤立したため、核開発を本格化していた。これに対し米軍は「外科手術的攻撃」で核施設を破壊することを計画し準備を進めていたが、それを行えば第2次朝鮮戦争に発展する可能性が高かった。このため97年の「指針」改定もそれを反映して「周辺事態」に重点を置き「非戦闘員を退避させるための活動」(韓国にいる米国民間人や軍人の家族の日本への避難)「国連安保理決議に基づく船舶検査」などでの日本の協力などが盛り込まれた。