本稿の目的は『四中全会は習近平政権の権力基盤を計る試金石 アジェンダを“法治”とした指導部の思惑とは』と題した前回コラムの問題提起に、何らかの回答を示すことにある。

 前回コラムは中国共産党第十八期中央委員会第四回全体会議(四中全会、2014年10月20~23日、北京開催)が始まる直前に執筆した。本稿を執筆している現在、四中全会は予定通り“法治”と設定したアジェンダの下終了し、中国語で《公報》と呼ばれるコミュニケ、および会議を通じて採択した《決定》と呼ばれる公式文書の全文も、国営新華社通信によって公開されている。

 2014年7月29日、周永康元政治局常務委員の“落馬” (政治家や役人、国有企業の幹部などが、汚職や賄賂受け取りといったスキャンダルが原因で職を解かれ、かつ中央規律検査委員会による調査を受けること――筆者注)と四中全会の開催とそこで集中討議される“法治”というテーマがほぼ同時に公表された。その後、習近平総書記に近い太子党関係者が、「四中全会で法治主義がどこまで議論されるかによって、習近平の権力基盤がどこまで強固になっているかを判断することが可能になる。周永康を失脚させたことで生じる政治リスクをどこまで抑制できているかも、ある程度判断できる」と私に告げてきた。前回コラムの最終部分で言及したとおりだ。

遅延なく公開された《公報》と《決定》
“法治”を掲げた習近平の目標は一応達成

 四中全会を経た現在、3つの視角から習近平の権力基盤について“判断”してみよう。

 一つに、四中全会が予定通り“法治”をテーマに集中討議した会議となり、かつ会議終了翌日の24日に《公報》が、5日後の28日に《決定》が公表された事実に着目する必要がある。

「党内の結束や団結が不安定で、反対勢力が膨張し、総書記に巨大な政治圧力をかけるような状態に陥れば、《公報》や《決定》が適当な時期に公表されないことも想定できる。これらの公式文書は自然に世に出されるようなシンプルな産物ではない。党内における激しい権力関係、利害関係を乗り越えてようやく完成され、公の場に出される類のものだ」(中国共産党内で理論工作を担当する幹部)からだ。

 《決定》の作成プロセスを振り返ってみよう。

 四中全会の公式文書《決定》の起草委員会は、政治局の検討会議を経て、2014年1月に設立された。委員長を習近平総書記が、副委員長を張徳江全国人民代表大会委員長(序列3位)と王岐山中央規律検査委員会書記(序列6位)が務めた(王岐山が《決定》の起草に直接関わってきた事実が、習近平総書記の脳裏において“法治主義”と“反腐敗運動”が政治的につながっていることを物語っている――筆者注)。