アルバニア人は、セルビア人などバルカン半島の南スラブ系とは異なる古民族とされているがその起源はよくわかっていない。アルバニア本国ではスターリン主義の指導者エンヴェル・ホッジャが1967年に「無神国家」宣言をし、70年代には鎖国体制に入って徹底した宗教弾圧を行なったため、信教の自由が認められた現在も国民の7割が無宗教とされるが、コソボのアルバニア人の大半はムスリムだ。もっとも、女性でもヒジャブ(スカーフ)姿はほとんど見られず、ボスニアと同じく世俗化している。


コソボ紛争でセルビア人を「悪」、アルバニア人を「善」としてベオグラード空爆を踏み切ったことには、セルビアの友邦であるロシアだけでなく欧米国内からも批判の声があがった。だがそうした批判は、結果的に、コソボをアメリカとEUにとって失敗の許されない“紛争処理のモデルケース”とすることになり、多額の資金が投入された首都プリシュティナは復興景気に沸いた。
いまでは市の中心部に広い遊歩道がつくられ、両側には高層ビルやホテル、洒落たカフェなどが並んでいる。街なかにはEUナンバーの車が目立ち、ホテルのロビーではヨーロッパのビジネスマンが談笑し、夜になるとオープンテラスのレストランでワイングラスを傾ける姿が見られる。地方にまで足を伸ばす余裕はなかったが、プリシュティナにかぎればその経済発展は目を見張るばかりだ。


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