それに対して、セルビア正教の教会はどのような扱いを受けているのだろうか。下は街の中心部の広場にある教会だが、ご覧のように内部は完全な空洞で廃墟のまま放置されている。これが解体されないのは、コソボ共和国が名目上、セルビア系住民の信教の自由を認めているからだろう。撤去するにはあまりにも目立ちすぎるので、そのまま放っておくしかないのだ。

欧米の介入でコソボ紛争が終結し、アルバニア人の自治が認められると、UNMIK(国連コソボ暫定統治機構)の監督下でセルビア系住民に対するあからさまな差別と排除が始まった。コソボ解放軍(KLA)の過激派によって、1300名のセルビア系住民が拉致され、行方不明になったともいわれる(これについてはジャーナリスト木村元彦氏の『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』〈集英社新書〉参照)。
こうした「民族浄化」の結果、多くのセルビア系住民は故郷を捨て、セルビアの難民キャンプに逃れざるを得なくなった。コソボの治安が安定したのは、住民の9割がアルバニア人になって民族紛争の火種が消えたからだ。いまもコソボ領内にはセルビア人地区がわずかに残っているが、これほど人口比率がちがうとセルビア系住民は抵抗の声を挙げることすらできない。
欧米諸国はボスニアなどでセルビア民兵による「民族浄化」を激しく批判したが、コソボでのアルバニア人による「民族浄化」には目をつぶった。親欧米のアルバニア系が圧倒的多数になった方が統治しやすいからだ――セルビア人はこう批判するが、米国やEUの意図がどこにあったかは別として、結果としては彼らのいうとおりの状況になっていることは否定できない(もちろんアルバニア系住民もセルビア民兵による虐殺の被害者だから、どちらが善でどちらが悪ということはできない)。
コソボにある「ビル・クリントン通り」とは?
コソボのプリシュティナでもっとも印象的だったのは下の通りだ。なんの変哲もない道路だが、ここは「ビル・クリントン通り」と名づけられている。

この通りを真っ直ぐ歩いていくと、ビル・クリントンの像がある。クリントンはベオグラード空爆のときの米国大統領で、コソボのアルバニア系住民にとっては建国の恩人であると同時に、憎むべき敵を叩きのめした英雄(ヒーロー)でもあるのだ。

私は今回の旅で、そのベオグラードも訪れた。下は通称「空爆通り」で、旧ユーゴスラビア共和国内務省ビルが巡航ミサイルの標的となって大きな被害を受けた。セルビアではこの攻撃は不当な内政干渉・侵略行為とされており、その「犯罪」の証拠を後世に残すため破壊されたビルは撤去されないまま放置されている。
ここで私は、コソボ紛争におけるアメリカの判断を批判したいわけではない。空爆がなければ平和裏に紛争が解決したかというと、とてもそんなことは期待できないのだから。
ここでの教訓は、おそらく一つしかない。
いったん憎悪の火が燃え広がれば、それを消し止めるには膨大な犠牲と悲劇が必要になる。だがひとびとが熱狂のなかで正義の旗を振りかざすとき、その結末に気づく者はほとんどいないのだ。


<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)などがある。
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