昨年の末、美杉小学校から講演に呼ばれて、生まれ故郷の三重県美杉村(現津市美杉町)へ里帰りをしてきた。なお、僕が生まれたのは正確には多気(たげ)村であって、その後多気村を含む7つの村が合併して美杉村になったのである。生まれた頃の多気村の人口は約3000人、美杉村全体では2万人近い人口を擁していた。

 それが今では全体で5000人を割っているという。生まれた頃は多気小学校だけでも児童数が450人を数えていたのに、7村の小学校を統合して1つになった美杉小学校の本年の卒業生は18人、新入生はたったの4人に過ぎないという。それでも、美しい木造の校舎で、先生方は懸命の努力をされていて、本当に頭が下がったが、過疎の進み方のあまりのスピードに度肝を抜かれてしまった。

 車で村に入ると、一面の電気柵が目に入る。人々が柵の中で細々と田畑を耕して生活を営んでいる。村の主人は鹿。次いでイノシシとサル。これは、ひょっとしたらわが国の地方の未来の姿ではないのか、ふっとそんな気がした。過疎の村を訪れることはわが国の未来への旅なのだ。

山林、田が適正に
管理されているのはわずか20%

 地元で「T-age」(2014.11.16)という発行されたばかりの地域マガジンをいただいた。発行元は「多気の郷元気づくり協議会」である。そこに載せられたデータをちょっと眺めてみよう。

過疎の村を訪ねれば、為すべきことがよく分かる

 まず多気地区の住民の年齢。()内は津市全体である。

 71才以上人口は津市全体の3倍近く、それに対して15才以下の子どもの人口は1/3にも満たない。しかも、この過酷な高齢化の中で一人暮らしの世帯数が28%を占めているのである。