「幸福」と「不幸」に絶対的な基準があるわけではなく、感情はあくまでも相対的なものです。各国の最貧困層を比較すると、インドのスラムに暮らすひとたちはニューヨークのホームレスよりはるかに幸福感が高いことが知られています。これにはさまざまな要因があるでしょうが、いちばんの理由は「インドにはものすごくたくさんの貧しいひとたちがいる」からです。
みんなが貧しければ、自分が貧乏でもたいして気にはなりません。それに対してニューヨークの摩天楼をさまよい歩くホームレスは、きらびやかな世界や成功したひとたちを日常的に目にすることで、どんどん「不幸」になっていきます。
そう考えれば、大震災後に幸福な日本人が増えた理由もわかります。テレビには毎日、津波によって家族を亡くし、家や仕事などすべての資産を失った膨大な数の被災者が映し出されました。難を免れたひとたちは、世の中には自分よりはるかに不幸なひとがたくさんいるという単純な事実に気づきました。「日々の生活は厳しいけど、あのひとたちに比べればマシだ」という感情が多くの日本人の幸福感を高めたのです。
それではなぜ、より複雑な“絆”説が唱えられるのでしょうか。それは、オッカムの剃刀にかなった単純な説明が心理的に不愉快だからです。「募金や被災地のボランティア活動で幸福感が高まった」という話の方が心理的な負荷がずっと小さく、読者や聴衆から文句をいわれる恐れもありません。このためおうおうにして、科学的な検証を無視して心地よい説明に飛びついてしまうのです。
もちろんこれは、“絆”説が間違っているということではありません。「より単純な仮説が提示できる以上、それを反証する義務を負うのは複雑な説明をする側だ」というだけのことです。
現代社会では、暗黙のうちに「政治的に正しい」説明が強要されています。これは「関係者の誰をも傷つけることのない、万人にとって心地いい説明」のことです。
オッカムの剃刀は、「政治的な正しさ」の背後にしばしばより単純で不快な論理が隠されていることを示します。しかしほとんどのひとは、「この世界が醜く残酷だ」という現実を受け入れることができません。そのため世論を気にする政治家や官僚は間違った前提で政策をつくり、より悲惨な状況を招いてしまいます――現代社会の混迷とは、つまりはこういうことなのです。
『週刊プレイボーイ』2015年1月5日発売号に掲載
<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)などがある。
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