バンコク発ビジネス・生活情報誌『DACO』編集部が、バンコクの屋台ビジネスをレポートした大人気企画。タイでビジネスを始めたいと考えている日本人にとっても、貴重なヒントが隠れているかも。
バンコクに屋台は何台あるんだろう。2万台ぐらい?
タイ人に聞くと「さぁ……」。すぐに思った、愚問だ。
インフォーマル経済という言葉がある。社会保障や課税の対象にならず、政府にも登録されていない職業を表わす概念を指すそうだ。タイなら、バイクタクシー、三輪タクシー、廃品回収人、日雇い労働者、売買春従事者、家事労働者、そして露天商や行商人……。経済学的に見ると、これらの職業は発展途上地域に見られる過渡的現象で、発展に伴い、縮小・消滅の一途をたどるとされていた。
ところが、東南アジアの中でも経済成長および工業化が著しいタイにおいては、インフォーマル経済の職業の一部はむしろ拡大を見せているという。その一部とは屋台ビジネス。どういうことだ?
2010年8月、フランチャイズ屋台「ルークチン・プラー・ラブート」の店主となり、ルークチン・プラー・トート(揚げた魚のつみれ団子)屋になった31 歳の男がいる。職歴は、ウェイター⇒バイクタクシー運転手⇒メッセンジャー、そしてフリーペーパーの編集者。10年間『DACO』で働いたタイ人Rangsan Yoopochana、愛称オーだ。
バンコク都の東部郊外、スワンルアン地区オンヌット出身の彼は、生まれ育ったオンヌット・ソイ36 の1本奥、ソイ38 の入口にあるセブンイレブンの前に屋台を構え、つみれ団子を揚げている。
これから4回にわたってレポートする「バンコク屋台ビジネス」。今回は、開店2カ月後に聞いた彼の話から、屋台ビジネスの魅力を探ってみた。バンコクの屋台はたしかに時代を、人を映していた。日本人にとっても、タイ人パートナーとのビジネスのヒントになるかもしれない。

フランチャイズ屋台は、おいしいビジネス? ―屋台オーナー・オー氏、かく語りき―
開業にいたるまでの経緯と、バンコクで人気のフランチャイズ屋台「ルークチン・プラー・ラブート」に狙い定めた理由、そして展望。ひとりのタイ人は、こういう視点で屋台ビジネスをみていた……。
転身の決心は、時間・金・挑戦
4、5カ月間、ずっと考えていたんだ。「このまま編集の仕事をしていていいのか」。一番は家族との時間がないことがいやだった。子どもの面倒が見たかったんだ。
そしてお金。取材・編集の魅力は未知の体験をし、それを人に伝えること。だけど、社員の数は決まっているし、本の売り上げもある程度読めるし、月給が驚くほど上がることもない。これから子どもにもお金がかかるからね。
自分をちょっと試してみたい気持もあった。チャンスを生かせば、オイシグループ(OISHI、タイで日本食レストラン経営や日本食を販売)みたいな大企業の社長になれるかもしれない。ちゃんと考えてやっていけば、好機はやってくると思うんだ。
フランチャイズなら簡単に始められる
フランチャイズ屋台はダチがやっていて、話を聞いたら、家族との時間が持てそうだし、やり方次第で『DACO』より儲かりそうだった(笑)。
親会社に面接に行くだけで、よっぽど問題がない限り、元手の支度金を払えば、だれでも始められるんだ。試験で落とされることもない、簡単だよ(次回、詳しく紹介するが、原則として日本人は不可。タイ人パートナーが必要だ=編集部註)。
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