彼が子どものころ、
この国では数百万人の人々が政権によって殺害された

「ちなみに私には4人の姉がいましたが、みな飢えて死にました。母親だけは盗み食いをしていたので生き残りました」

 ガイドの男性のこの言葉に(おそらく半分は冗談のつもりだったと思うのだが)、それまで何となくざわついていたバスの中は、一気に静かになった。

 プノンペンの目抜き通りにあるホテルからは、バスでほぼ小一時間。本来なら30分とかからないはずの距離なのだが、市内は慢性的なラッシュのため、バスはなかなか進まない。マイクを手にした30代後半と思しきガイドの男性は、静まりかえった日本人乗客たちをしばらく見つめてから、「着きました」と少しだけトーンを落とした声でつぶやいた。同時にバスはゆっくりと停車した。

 運転席横のステップを降りながら、4人の姉が死んだという話は事実なのかどうか、横に立つガイドに確認しようかなと考えた。でも訊けなかった。確かに口調は冗談めかしていたけれど、実際に彼が子ども時代に数百万人の人々が政権によって殺害されたこの国で、純正な冗談として4人の姉が飢えて死んだなどと言えるはずがない。おそらく彼は、「事実です」と答えるだろう。そしてそのときに自分がどんな表情をすればよいのか、僕にはわからなかったのだ。

 バスを降りて周囲を見回せば、プノンペンの昼下がりの光景だ。路上にはミーチャー(焼きそば)やバイチャー(炒飯)などの香りが溢れ、ぎっしりと並ぶ露店に置かれたマンゴーやジャックフルーツやココナッツなどが強烈な陽の光を反射している。周囲は多くの人とオートバイでごった返し、目が合ったトゥクトゥク(三輪タクシー)のドライバーが、片手を挙げながら「乗るか?」と声をかけてくる。

 そのすぐ横には、鉄条網を上に張った高いコンクリートの塀がそびえている。これが国立トゥール・スレン虐殺博物館だ。別名「S21」。門から敷地内に入る。入場料は2ドル。プノンペンのレストランで缶ビールを頼めばだいたい1ドルだから、国立博物館としては妥当な金額と言えるだろう。

 敷地内には3階建ての建物が3棟。いずれもかつては校舎だった。空は青い。欧米などから来たおおぜいの見学客たちが門を出入りしている。でもその様子を見ていると、入るときと出てくるときの表情が微妙に違う。見学を終えて門に向かってくる男や女たちは一様に、少しだけ虚脱したような表情になっている。厳粛とは違う。怒りや哀しみとも違う。何となく目に焦点がない。明確な色や輪郭がないその表情を敢えて言葉にすれば、やっぱり虚脱以外には思いつけない。