作家・曽野綾子氏が産経新聞(2月10日朝刊)に寄稿したコラムが国際的な波紋を呼んでいる。「労働力不足と移民」と題する文章で、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を擁護していると海外メディアが報じ、駐日南ア大使が産経新聞に抗議文を送った。
曽野氏はアパルトヘイト廃止後に、白人だけが居住していたアパートに黒人が移り住んだ話を書いている。「黒人は基本的に大家族主義」で、アパートの部屋にたちまち20~30人が住むようになり、居住者の急増で給水が追いつかず水道から水が出なくなった。それを嫌って白人たちが逃げ出したため、その建物に住みつづけているのは黒人だけになったのだという。
この体験を根拠に、曽野氏は次のように断言する。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
このコラムはもともと、「イスラム国」の一連の事件を受けて、「日本は移民をどのように受け入れるべきか」というテーマで書かれている。「移民を人種別に居住管理すべきだ」との主張は人種差別と批判されても仕方ないだろう。
そのうえこのコラムの論旨は、いくつかの点で明らかに間違っている。
いうまでもないが、もともと南アフリカで暮らしていたのは黒人で、そこに移民してきたのが白人だ。しかし曽野氏の比喩では、先住民である白人のアパートに黒人が「移民として」移り住んできたことになっている。このような「誤った歴史認識」を、南アフリカのひとたちはぜったいに受け入れないだろう。
黒人が「ベッドではなく、床に寝て」いる理由を、曽野氏は彼らが大家族主義だからだというが、誰も好き好んで床で寝たりはしない。彼らが「大家族」なのは文化ではなく貧しいからだ。ゆたかになれば核家族化が進むのは人種に関係なくどこも同じで、アメリカでも南アフリカでも、黒人の富裕層の暮らしを見ればこのことはすぐにわかる。貧困の問題を文化のちがいに解消するのは、やっかいな社会問題を隠蔽する常套手段だ。
白人たちがアパートから逃げ出したのが水道のせいだというのも奇妙だ。水が足りないだけが理由なら、給水タンクをもうひとつつくればいいだけの話だ。
アメリカでもヨーロッパでも、白人の中流地区に黒人や移民が移り住んできたときに起こるのは常に治安への不安だ。貧しい家庭で育った若者たちがグループをつくって不良化すると、地域や学校の環境が一気に悪化してしまう。日本でも、公立学校で校内暴力が頻発すると、親は無理をしてでも子どもを私立に入れようとした。親にとって子どもの安全ほど大事なものはないから、わずかなリスクでも避けようとするのはどうしよもないことだ。
その結果、たしかに曽野氏がいうように、白人が出て行き、黒人だけの建物、居住区、町が生まれる。前回の記事で書いたように、ヨハネスブルグのダウンタウンはその典型だ。
[参考記事]
●「半径200mで強盗にあう確率150%」「バスの乗客全員が強盗」など南アフリカ・ヨハネスブルグの都市伝説は本当か?
だがここで、曽野氏はきわめて危険な論理を展開する。
南アフリカだけでなく、アメリカやヨーロッパでも人種ごとの住み分けが生じ、深刻な社会問題になっていることは間違いない。だがこうした現実から、「人種隔離政策が正しい」という結論は導けない。ヨハネスブルグの高級住宅地を見れば明らかなように、南アフリカでも、黒人の中流層は白人たちとなんの問題もなく混住しているからだ。
だったら、問題はどこにあるのか。貧困や教育や差別など、ここから先はさまざまな議論があるだろうが、人種にかかわりなく多様なひとたちが仲良く暮らす共同体(コミュニティ)が理想であることだけは間違いない。人種の融合や同化を「非現実的」と否定するのは“保守思想”ではなく、リアリズムに名を借りたたんなる人種差別に過ぎない。
このことを確認したうえで、ここでは現実はもうすこし複雑だということを、ソウェト(Sowet)を例に考えてみたい。
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