典型的な貧困地域ソウェト
アパルトヘイト時代の黒人居住区をタウンシップという。ソウェト(South Western Townshipsの略)はヨハネスブルグ郊外につくられた最大のタウンシップで、現在も住民のほぼ100%が黒人だ。
現在のソウェトのシンボルは現代アートのようになった二本の巨大な煙突だ。閉鎖された火力発電所の施設を地元の銀行が購入し、モニュメントにしたのだという。煙突のあいだにロープで橋が渡され、バンジージャンプができるようになっている。

ヨハネスブルグはもともと金の採掘で発展した街で、ソウェトの周辺にも鉱山跡があちこちにある。こうした場所は鉱毒で汚染されていることから居住には適さず、だからこそアパルトヘイトの時代に黒人居住区に指定された。火力発電所のような「迷惑施設」がこの近辺に建設されたのも同じ理由だ。
ソウェトの歴史を語るうえで欠かせないのが1976年のソウェト蜂起で、中学・高校でアフリカーンス語を導入することに抗議した学生たちが大規模な抗議行動を起こし、警察が群集に無差別の発砲を行なったことで死者176人、負傷者1139人という大惨事となった。
アフリカーンス語は南アフリカの支配層だった白人(主にオランダからの移民の子孫)の言語で、当時、学校教育は英語で行なわれていたから、この教育方針の変更は黒人支配の象徴と見なされたのだ。

1994年に全人種が参加する選挙が実施され、ネルソン・マンデラが大統領に就任すると、政府は人種差別政策のなかで貧困に苦しんできた黒人たちを救済するためソウェトの再開発に乗り出した。こうして建設されたのが公営の無料住宅で、箱型の家が整然と並んでいる。

だがこの住宅政策は、やがて頓挫することになる。教育や福祉、インフラ整備にも多額の投資が必要で、すべての貧困層に住宅をあてがう予算はなかったからだ。
その結果、公営住宅に隣接して巨大なスラムが生まれることになった。SHACK(掘っ立て小屋)と呼ばれる家はトタンでつくられ、室内にはベッドとわずかな家具が置かれているだけだ。水道は公営住宅の水道管から引っ張り、電気はちかくの電線から盗電する。こうしたSHACKが並ぶ貧困地域が典型的なソウェトのイメージだ。
ガイドの説明では、SHACKは貧困層が勝手に建てて住んでいるのではなく、すべて大家がいるのだという。大家は住人から1カ月4000~5000円の家賃を徴収している。スラムは黒人の零細事業家にとっての投資物件なのだ。

もっともこうしたスラムに暮らすひとたちがすべて極貧の生活をしているかというと、そうともいえない。家賃が安い分だけ他のことに使う余裕ができ、スラムに住みながら子どもを大学に入れる家庭もあるのだという。
貧困層がどういうところに住んでいるかは、その名もSHACKというバーで体験できる。スラムの家を改装した店で観光客に大人気だ。


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