新島襄、内村鑑三を支えた群馬の老舗
創業180年の醤油蔵「有田屋」

七代目当主湯浅康毅氏。後ろに見える肖像画は新島襄。有田屋は同志社ゆかりの店で八重にちなんだ醤油も販売している。関西風のすき焼きにぴったり、とのこと

 今回は群馬県、安中市にある有田屋を訪れた。関東の醤油の産地といえば千葉が有名だが、群馬の有田屋は創業1832年、180年余りものあいだ、醤油を手がけ続けている。

 併設された直営のショップの隣にある蔵を改装したギャラリーで、同社の社長で7代目当主の湯浅康毅さんからお話を伺った。

「遠く片田舎の上州安中までお越しいただいて……」

 湯浅社長は物腰柔らかく、上品な口調で話す。歴史に詳しい方なら三代目当主の湯浅治郎の名前を聞いたことがあるかもしれない。大河ドラマ『八重の桜』で描かれた新島襄の同志社(後の同志社大学)や徳冨蘇峰の民友社を経済的に支援し、また内村鑑三の出版のパトロンとしても知られる。

「内村鑑三さんならこの写真に写ってますよ」

 ギャラリーにかけられた写真を指さしながら湯浅さんは言う。

「併設しているショップでお団子を出しているのですが、注文を受けてから焼きあがるので提供するまでに時間がかかるんです。せっかく昔のものがありますので、お待ちいただく時間のあいだに見ていただこうと、ギャラリーをつくったんです。日本で一番、待たせる団子屋かもしれません」

 その「お醤油屋さんのお団子」をいただいた。選び抜いた柔らかなうるち米の団子に有田屋の再仕込醤油、またはそれを使ったみたらしタレが絡む。キリッと立った醤油の香りと柔らかな団子が絶品だ。みたらしもいいが、醤油焼きがとくに美味しい。

「せっかく醤油蔵に寄っていただくのですから醤油の味がわかる、おいしいものをお出ししようと思って」

 旨い、旨い、と我々。お団子に感動してばかりでも申し訳ないので、醤油のお話に戻ろう。

醤油業界はまだ“戦後”が続く?
戦時中の代用品「アミノ酸醤油」の名残

街道筋に店を構える有田屋。風格を感じさせる建物だ

 湯浅さんは98年に有田屋に入り、2003年に7代目当主に就く。

「自分の代で大きく変わったのはそれまでつくっていたアミノ酸液が入った醤油をやめたことです。うちの出荷先は業務用がほとんどでしたから、学校給食にも使われていたんですね。美味しいからと言われても、将来的にどうなんだろう、と疑問に思ったので、すべて昔ながらの天然醸造一本に切り替えてしまったんです」