格差が存在すること自体が悪ではない。問題は、逆転する機会が与えられているかどうかだ。「健全な格差とは何か」を真剣に考えなければ、いずれ世の中は立ち行かなくなる。著名作家にして稀代の論客でもある堺屋太一氏が、日本を覆う格差の構造とその拡大・固定化について、そして格差是正の方策について、持論を寄せた。

堺屋太一
さかいや・たいち/1935年、大阪府生まれ。東京大学卒業後、通産省を経て75年に作家デビュー。『団塊の世代』『峠の群像』など数々のヒット作を世に送り出す。98年から小渕・森内閣で経済企画庁長官を勤める。社会評論から経済学、政策論にまで精通する論客としても知られる。

 あるとき、慈悲深い神様は、仔羊が狼に食べられるのを見て憐れに思われて、狼の牙を抜いて羊に変えられた。羊たちは平和に暮らせるようになった。ところが数年たつと羊の数が増え、一部の力強い羊が草原を占拠、弱い羊は飢え出した。

 神様は飢える羊を憐れに思われて、羊たちに等しい広さの草原を割り当てられた。それで羊たちの争いはなくなったが、どの羊も痩せ衰えて死んでしまった。神様にも草原を広げることはできなかったのだ。

 この神様の名はカール・マルクスだったか毛沢東だったか、日本の官僚だったかもしれない。

 やがて神様は交代した。今度の神様は前任者の失敗に懲りて逆のことをやり出した。狼たちに羊を捕る自由を許すとともに、いっそう強力な牙と知恵を与えた。地上は弱肉強食の場となり羊は喰い尽くされ、狼たちの共喰いが始まった。数年後には一頭の巨大な狼だけが荒野をさまよっていた。

 このときの神様はデビッド・リカードとも 鄧小平ともいう。東の島国では小泉純一郎だという者もいるらしい。

神様にもコントロールできない
格差と競争促進のバランス

 格差是正の規制強化か、経済合理化を貫く競争促進か――これは人類史上絶えることのない課題である。それが今、日本でも重大な問題となっている。大事なのは、これを論じるに当たって3つのことを正確に知っておくことだ。

 第1は、現実にどのような格差があるのか。第2は、それはどのようにしてできたのか。第3は、世界はどのような方向に流れているのか。その流れに、日本だけが逆らえるものではあるまい。

 1980年代、日本は経済の高度成長にもかかわらず格差は縮み、都市化しても犯罪は増えず、給与差は少ないのに社員は皆勤勉、学歴による所得差は小さいのに少年たちは受験勉強に熱心だった。この国が「奇蹟の成長」とも「近代工業社会の天国」ともいわれたのは、このためである。

 もっとも、この「天国」の住民が皆幸せだったわけではない。「天国」から墜落しないためには必死に雲にしがみついていなければならない。選択の自由も個性を発揮する道も封じられ、ひたすら日本式ルールを守ることを強いられていた。