橘玲の世界投資見聞録 2015年5月21日

ジンバブエ、ムガベ大統領が“モンスター”になった理由とは?
[橘玲の世界投資見聞録]

興味深いムガベの生い立ち

 南アフリカに生まれ、(旧)ローデシアで育ったヘイディ・ホランドはジャーナリストとしてアフリカ問題を精力的に報じた。そんな彼女が2008年に出版したのが『Dinner With Mugabe: The untold story of a freedom fighter who became a tyrant(ムガベとのディナー――独裁者となった「自由の戦士」の知られざる物語)』だ。この本でホランドは、欧米社会から「モンスター」と呼ばれるムガベの興味深い人物像を描写している。

 この本についてはアフリカ地域研究の小倉充夫氏が簡潔に要約しているので、それを紹介しよう(「植民地支配と現代の暴力」小倉充夫編『現代アフリカ社会と国際関係』(有信堂)所収)。

 

――ムガベは1924年2月21日にカトリック教会の大工の子として生まれたが、幼少の頃に長兄が死に、その後、出稼ぎにいった父が家族を見捨て、一家は貧困の苦しみを味わうことになる。ようやく父が戻ってきたとき、彼は3人の異母兄弟を連れていた。そんな父を、ムガベは許すことができなかった。

 

   若い頃に尼僧になろうとした母はしつけに厳格で、ムガベはその期待を背負って学業に励んだ。弟は兄ムガベについてこう語っている。

 

  「彼は友達をつくることに関心がなかった。本が友達だった。私はその反対で誰とでも話し、また喧嘩をした。私は早く走れたが、兄はできなかった。動作がのろく、いつも本を読んでいた。祖父にいわれて牛を草地に連れて行く時には片手に鞭を持ち、他方に本をもっていった」

 

   ムガベは教員資格を取得後、奨学金を得て南アフリカの大学に留学し、そこでマルクス主義とガンジーの思想から影響を受けた。学士号取得後は帰国してミッションスクールの教師になり、ロンドン大学の通信教育を受け、1958年にガーナの師範学校に赴任することになる。ガーナは前年にサハラ以南のアフリカで最初の独立国になり、アフリカの統一とその象徴たるアフリカ合衆国を目指していた。

 

   ムガベはガーナで、社交的で知的な女性サリー・ヘイフロンとめぐりあう。彼女はムガベの同志となり、彼が唯一心を開くことのできる人になった(サリーが1992年に腎不全で死去したことが、ムガベの人格が豹変する理由のひとつとされた)。

 

   ガーナからの帰国後、首都ソールズベリー(現在のハラレ)で開かれた抗議集会での演説で注目され、ムガベは次第に民族運動の担い手になっていく。11年間投獄されたあと、遅れてゲリラ活動に加わったものの、解放闘争初期の有力者たちが暗殺や事故で死亡したことで指導者となり、ついには首相に就任する。

 

   妻サリーの姪によると、「彼(ムガベ)は誰にでも学校に行くことを薦め、公邸の庭師にも通信教育を薦め、授業料を払ってやった。ある時期には公邸の従業員全員に定期的に授業を開いた」。

 

   牢獄にいたときもムガベは時間を無駄にせず、ロンドン大学の通信教育で法学と経済学の学位をとった。そればかりか受刑者の勉強会を開き、他の仲間に学習させていた。

 

   首相になってからも、ムガベは常に丁重で時間に正確だった。

 

  「遅れそうな時には部下があらかじめ電話をしてきた。約束の時間より少し遅れると、それがたとえ5分であっても、来るなりすぐに遅れたことを彼は謝った」

 

  「ムガベは今でもイギリス紳士の服装をしている。それが彼の変わらないスタイルだ。彼のふるまいもイギリス紳士のようで、面と向かっていると素晴らしい人です。同じ人だとは信じられないでしょう」

 

  「一対一だと彼はどぎまぎして、ぎこちないようにみえ、実際恥ずかしがり屋であった。公式行事や宴会に出なければならないが、彼はけっして楽しんでいなかった。水の入ったグラスを持って彼は悲しげに見えるか、ワインを啜っていた。しかも最後まで半分は残っていた」
 との証言もある。

当初は白人を排除することはなかった

 独立直前の選挙で勝利したあと、ムガベは次のように述べた。

「私は、黒人であろうと、白人であろうと、悲惨な過去を忘れ、他の人々を許し、新たな親交のもとに手に手をとって、共にジンバブウェ人として人種主義、部族主義、そして地域主義を忘れ、かつ無視して経済機構を再生するために、我が社会を再建し、復興すべく懸命に働くことを私と共に誓約するように切に訴えるものである」

 実際、ムガベはローデシア最後のイギリス総督夫妻と親密で、民主選挙によって権力を制したあと、「誰か話のできる人が必要なのであなたにとどまってほしい。私は国を統治することについては何も知らないし、それを知っている者はいない」と総督に頼んだ。そして、次のように約束したという。

「即座に大きな変化はない。産業や土地の急速な国有化も、白人の追放もない。白人にとどまってもらいたい。彼らがいないと経済は破滅する。ウォールス(ローデシア軍総司令官ピーター・ウォールス)にもとどまってもらいたい。そうすれば白人の恐怖が減り、ローデシア軍と解放勢力から統制のとれた軍隊を創設できる。我々には時間が必要であり、総督にはできる限りとどまってほしい」

 またムガベは、白人のデニス・ノーマン(独立前は商業農家組合議長)を初代の農業大臣に任命した。

 1990年の南部アフリカ開発調整会議のためムガベとノーマンがスワジランドに滞在していたとき、マーガレット・サッチャーが辞職したというニュースが入った。ムガベの周りにいた閣僚たちが歓声をあげると、ムガベはいった。
「なんでそう浮かれ騒ぐのだ。彼女が去ることがそんなによいことなのか。君たちに思い出してほしいことがある。誰が我々の独立を認めたのかね。保守党のサッチャーか労働党のキャラハンか」

 そして、次のように続けた。

「君たちに大事なことを言おう。彼女の政策には賛成しないが私は尊敬している。彼女が果敢に戦ったことに敬意をもつ。彼女はもっとよい終わり方をするのに値する」

 ノーマンはムガベと強い信頼関係で結ばれたものの、当の白人社会から批判にさらされ、農業大臣を罷免されることになる。ノーマンは後に、ムガベが白人と黒人の共存を試みたにもかかわらず、白人の強い人種差別意識と、ローデシアにおけるこれまでの経済発展への自負が融和を阻んだのだと回想している。

「当時のムガベの政策は明らかに彼ら(白人)にとってもよいものだった。ムガベが政権を掌握した時、白人に軍を指揮させ、私を農業大臣に、デビット・スミスを商工大臣にした。黒人による支配への白人の恐怖を和らげるためにムガベはあらゆることをした。彼は近い人間を重要な地位につけるようなことをしなかった。彼のあらゆる努力によるこうした状況にもかかわらず、白人がスミス(ローデシア共和国をイギリスから分離させアパルトヘイトを主導したイアン・スミス)を支持したので彼は本当に失望し、そして何より傷ついたと私は思う」


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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