何かに導びかれるように、蕎麦屋へと手を引かれた人がいました。割烹調理を極めた男が“蕎麦一枚”の魅力に勝てなかったのです。包丁技が切れ味鋭く、蕎麦料理を深く豊かにします。

 「潮(うしお)」の店内には、客の心に響くオーラがあります。

(1)店のオーラ
引力のように出会いが生まれる

 玄関をくぐると、入り口に3体の見事な木彫りの仏像があります。

 客席の天井の古材の桟にもいくつかの小さな仏像の彫刻があります。

 初回に「潮」を訪問したときから、この彫刻の事が気になっていました。

西国分寺「潮」――割烹を極めた男の、蕎麦屋料理は心に響く
長年高級料亭の調理長を務めた技で客を迎えます。工夫を凝らしたコース料理の前菜。海老のうの花手まり、粽(ちまき)寿司の中にはすずめ鯛。

 潮幸司(こうじ)さんは14年前、蕎麦屋を夫婦二人で開こうと、この土地を購入しました。知り合いの設計士にはすでに数奇屋造りの図面を依頼してありました。

 その時、群馬の本家から連絡があり、蔵を始末するから古材を使ったらどうかとの連絡がありました。気乗りしなかった潮さんを設計士が見てみたいと言い出したのです。

 奇妙なことに潮さんが買った土地の敷地と解体する蔵の土台寸法がピタリと一致していました。

 「先祖がこれを使えと言っているのではないか」

 すぐに解体した古材を群馬から運び、今の店を造りあげました。

 「何か不思議な縁が僕を導いている気がします」

西国分寺「潮」――割烹を極めた男の、蕎麦屋料理は心に響く
豊かな味わいのステーキ肉に、時期には花山椒を沢山乗せてくれます。風味が極上です。

 潮さんの話を聞き進むうちに、それは波乱に満ち、人の縁が交錯した道だったことを知りました。

 出身の群馬では寿司屋の親類縁者が多く、潮さんは中学を卒業したら東京の寿司屋に修業に入るつもりでした。

 「これからは寿司屋といえども料理を知っておいたほうがいい」

 知り合いの寿司屋が、潮さんに赤坂の料理屋を紹介してくれたのです。

 「何が幸いするか分からないですね、それが幸運だったのでしょう」

 少々、料理の勉強でもしてみよう、と潮さんは最初はそんな気持ちで修業に入ったそうです。

 しかし、18歳の若者の割烹修業には過酷な人間関係が待っていました。