日本で15年間の編集者生活を送った後、ベトナムに渡って起業した中安さん。日本にいたときに想像していたベトナムと実際に住んでみて感じるベトナムには、さまざまな違いがあったという。今回は40回目を迎えた南部解放記念日に改めて感じた「南北問題」をレポートします。
今年はベトナムにとって、いくつかの重要なできごとが節目を迎える年だ。ベトナム民主共和国の樹立が1945年9月2日で、つまり70周年(その後1976年に、現在の国名であるベトナム社会主義共和国に改称)。1975年4月30日には、北ベトナム軍が南ベトナムの首都・サイゴン(現・ホーチミンシティ)を「解放」し、ベトナム戦争が終結した。これがいわゆる「南部解放」で、今年が40周年にあたる。
これが「解放」なのか「陥落」なのは、立場によって見方が変わるところだが、ここでは「解放」としておく。アメリカとの国交が回復したのは1995年7月で、こちらは20周年。
今回は「40年目を迎えた4月30日」について書いてみたい。とは言え、この日の持つ意味については、専門家ではない私のような人間ですら、書きたいことがあり過ぎて収拾がつかない。さらに、本職のジャーナリスト、ベトナム研究者などが発表された素晴らしい記事が、既にたくさんある。そういうわけで、ここで紹介するのは、私のささやかな個人体験談である。
驚くほど冷めている南部の人たち
まず、南部解放の舞台になったホーチミンシティの人たちは、どのように運命の日を迎えたのだろう。今年の「南部解放記念日」は、40周年という節目の年だけに、例年以上に盛大だった。
4月30日が近づくにつれ、町の中には、40周年を祝う立て看板が雨後の竹の子のように増えて来て、祝賀ムードを盛り上げる。しかし、私の周りのベトナム人たちは、驚くほど冷めていた。
「南部解放40周年? バカバカしい」と冷笑する人。「思い出したくもない悪夢の日だ」と怒りを露わにするお年寄り。「私たちには関係ないわ。ただの大型連休。祝賀行事を見たいって? まさか! 連休中は国外脱出よ」という若い人たち。「そもそも、解放といういい方がおかしい。この日に我々は国を失ったのだ」と言う人もいる。
ある人に「それでも分断されていた国がひとつになったのだから、基本的にはいいことですよね」と、無邪気に私が言葉を返すと、「北朝鮮が大韓民国を武力で統一しても、あなたは同じことを言えますか?」と反論された。
「この日のために、ベトナム国外から、当時のジャーナリストたちを含む報道陣がホーチミンシティにやって来る」と言っても「物好きねえ」程度の反応しかない。私の周りで、40周年を迎えた4月30日で盛り上がっているのは、皮肉なことに外国人ばかりだった。



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