「戦争という人間の本質」を無視した安保反対デモの論理

 毎年、この時期になると戦争と平和について考える機会が増えるが、今年は戦後70周年というより、例の安保法案に関連して、よりいっそう戦争に関する議論が白熱しているように思えるのだが、意外と(思ったほど)社会貢献業界ではこの話題、盛り上がっていない。

ソーシャル系学生が
安保法案にあまりコミットしないワケ

 最近は「SEALDs」(大学生中心)や「T-ns Soul」(高校生中心)という安保法案に反対する若者の団体も出てきて、メディアでも話題となっている。政治に無関心と長年にわたって批判されてきた日本の10代20代の若者も、安保法案を機に、一気に政治への関心が高まったかのように思える。

 しかし、僕の周辺の学生はこの問題について、実はそれほど関心がない。僕のような人間と親しくしてくれている学生というのは、ほとんど全員が社会貢献に関心があり、実際に自分でもソーシャルビジネスを立ち上げたり、NPOなどで活動している若者も多い。このような社会意識の高いソーシャル系学生が、今回の安保法案の件に関してはほとんど積極的にコミットしていない。反対デモに参加した学生は皆無だし、SNSなどでもこの件に関してはほとんど発信していない。

 もちろん関心がないわけではないし、こちらから話を振れば色々と議論になるし、キャンパスのなかで友だちと話をする学生もいるが、仲間内でもほとんどこの件では話をしないという学生もいる。

 これはいわゆる半径5メートル・マーケティングなので、サンプル数は非常に少ないが、僕も一応マーケティング屋の端くれなので、ある程度の傾向は推察できる調査は行なっている。いわば、バーチャル・グループ・インタビューを行なった結果を語っているわけだが、ではなぜ、ソーシャル系学生は安保法案にあまりコミットしないのか。

 その理由はおおむね「安保法案には反対だけど、デモなどを行なっている団体のやりかたが正しいのか検討中」「戦争反対という理念は同じだけど、平和の構築にはデモ以外の違う(もっと本質的な)やり方があると思う」というものだ。理念には賛同できるが、方法論には疑問があるということだ。

 そもそもソーシャル系学生には、世の中を何かの仕組みで変えていこうという志向性がある。その「仕組み」のなかにデモは入らないということだろう。つまり、無関心だから安保法案問題にコミットしないのではなく、自分なりにロジカルに考えて反対デモには加わっていないということだ。

安保反対デモ学生に対する
ホリエモンの見解

 この「ロジカルに平和構築の仕組みを考える」という志向性のことから思い起こすのは、最近のホリエモンこと堀江貴文氏のtwitterでの発言だ。ネットでも大きな話題になったのでご存じの方も多いと思うが、次のとおり。