それよりも、クリエイターとして一番大事な「まず自分がどのような思いでこの作品を作ったのか」、そこがまったく伝わってこないのだ。だからこそ、騒動の発端となった五輪エンブレムについても、日本の歴史や文化に対するリスペクトが感じられない。このような国家的、歴史的イベントの象徴となるものには、その国の過去、現在、未来という時間軸的なフレームのなかでデザインすべきだと思うが、あのデザインにはそれがない。前回の東京五輪のときの、亀倉雄策氏デザインと比べてみれば一目瞭然である。それはやはり、自分の作品に対してさえリスペクトがないからではないのか――。

 今回のような「しくじり」によって騒動が起きた場合、謝罪や経緯説明はもちろん大事だが、実はそれ以上に大事なのは、自分の仕事に対するリスペクト、つまり「思い」を伝えることだ。思いが伝われば多少なりとも理解や共感も得られるし、容赦の空気も生まれてくる。それはある意味、「許される力」だとも言えるだろう。

 しかし、そもそも仕事にリスペクトがなければ、伝えるべき思いもないので、それは伝わるはずもない。そして、怒りを覚える人たちから許されるはずもない。

 ちなみにいま、世界の広告クリエイティブの流れは、「社会をどのようにデザインするか」という方向に向かっている。だが、佐野氏の一連の疑惑作品には、日本の社会をどうデザインしたいのかがまったく見えてこない。それはつまり、日本という社会に対しても、デザインという仕事に対してもリスペクトもない、といえるのではないか。

 こうした、佐野氏が本質的に抱えるリスペクトのなさ。彼を批判している人たちの怒り、苛立ちの本質はそこにある。そう僕は思う。

【お詫びと訂正】
記事初出時、ザ・ローリング・ストーンズのオフィシャルTシャツのデザインを佐野研二郎氏が担当した際、模倣疑惑があるという趣旨の記述がありましたが、佐野氏の代理人より当人は模倣とされる首付近のタグ部分のデザインには一切関わっていないとのご指摘をいただきました。記事の当該部分は筆者による意見・論評に過ぎませんが、誤解を招きかねないとの判断により、関係者各位にご迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、訂正させていただきます。(2015年8月25日18:30 ダイヤモンド・オンライン編集部)