一冊の本に出会って300店もの蕎麦屋を巡りました。25歳の青春は蕎麦の道をひた走りました。

 脱皮するかのように新しく、大きな蕎麦屋へと昇ってきた「石はら」。その蕎麦料理には冒険的なオーラが立ち上っていました。

店のオーラ
300余店の蕎麦を体験し尽す

“一冊の本が人生を変えてしまう”、それを現実に目の当たりにしました。

世田谷「石はら」――ニューウェーブの蕎麦料理に時代が香る300余店を制覇、一茶庵直系店での修行を経て生みだす自家製粉の豊かな蕎麦。

 25歳、ある大手運送会社のドライバーだった彼は、陶芸、絵画、作曲など、およそ興味の惹かれることを試しては、自分の明日の居場所を探し求めていました。

“自分が1人でやれることで、何か役に立つ事をしたい”、そのこと自体が抽象的で、自分でもそれが何なのか想像もつかなかった、といいます。

“役に立つ”そのことのほうに強い思いがあり、まるで雲をつかむようなもどかしさがありました。

 ある日、迷い込むように彼は書店に入り、平積みになった[手打ち蕎麦屋読本]を手にします。

 中を開くと、一茶庵創始者で“蕎麦聖”と称された「片倉康夫」、その愛弟子の東長崎「翁」店主、吉川「ほそ川」店主、柏「竹やぶ」店主など、そこには当時の手打ち蕎麦屋のトップスターが勢ぞろいしていました。

世田谷「石はら」――ニューウェーブの蕎麦料理に時代が香る熱々のだし汁におろし大根で化粧してあります。粗引き蕎麦粉でつくる蕎麦がき。

 そして、全国の名だたる蕎麦屋が特集されていました。

「これだな!と思いました」

 この時、胸が波打ち、自分が歩むべき道を直感したといいます。世田谷の人気蕎麦屋「石はら」の亭主・石原誠二さんの若き頃です。

「本の中の手打ち蕎麦屋はきらきら光っていました」

 時代が求めていたものと、何かを求めようとしていた人間とが衝突するような出会いでした。

世田谷「石はら」――ニューウェーブの蕎麦料理に時代が香る実験的な温蕎麦が身上、梅じそ汲み豆腐蕎麦。汲み豆腐のとろりとした食感で人気。

「蕎麦屋なら自分が役に立つのではないか?」

 そこからじっくりと、まずはその本を片手に、手打ち蕎麦屋を回り始めます。4年間でその数、300余店を制覇します。手打ち蕎麦屋とはなんであるかを確認し、自分の中で熟成をしていくのを待つ時間でした。

 あらゆる蕎麦を体験すること、その中で自分の求める蕎麦をイメージ化し、具体化していきました。