人はなぜ休日なのに働いてしまうのか。その背景には、報酬の大小にかかわらず「達成可能性を最大限に追求してしまう」という心理現象が作用しているという。しかし、働きすぎは認知力の枯渇による悪影響を招く危険がある。

 

 気がつけば週末なのに働いていて、配偶者や友人や同僚などから批判を受ける――我々と同じように、あなたにもこんな経験がよくあるかもしれない。「週末の一部を仕事関係の活動に割くなんて、どこか本質的に間違っている」という批判者たちの言い分は、果たして的を射ているのだろうか。

 その批判には何らかの真実があるのかもしれないと、我々は考えた。そして社会科学者として、この現象(および働きすぎな我々自身)について理解する助けになりそうな実証データを探した。その結果、多くの人はある極めて単純な理由から週末に働くのだとわかった。すなわち、そうするのが楽しいのだ。(ランナーズ・ハイならぬ)「生産性ハイ」と考えればよい。しかし研究によれば、人はしばしば生産性を過度に追求してしまい、自覚している以上に大きな代償を払っている可能性がある。以下にデータをもう少し詳しく検討してみよう。

 多くの人が週末に働く理由の1つは、生産的だと感じることで喜びがもたらされるからだ。筆者の1人ジーノは最近行った調査で、500人以上の就労者を対象に、次の4つの経験のうち1つについて考え記述するよう依頼した。①生産的に働いていると感じた時、②とても多忙だと感じた時、③非生産的だと感じた時、④全然忙しくないと感じた時。①について記述した回答者たちは、「最高の気分であり、生きる喜びを覚えた」と報告する割合が他の3つの回答者よりも多かった。これらのデータによれば、私たちは自身が生産的だという感覚を持つことで、世の中に何らかの貢献をしていると感じるようだ。

 しかし別の研究では、休むべき時に働いてしまうもう1つの理由が示唆されている。人は必要としている以上に稼ぎを得たいと望むあまり、余暇よりも仕事を優先するという傾向があるのだ。シカゴ大学のクリストファー・K・シーらの一連の研究によれば、報酬の過剰追求(over-earning)というこの傾向は、たとえその潜在的理由(未来の不確実性や、財産を他の人に譲りたいという願望など)を取り除いた場合でも消えずに見られたという(英語論文)。

 ある実験では、被験者は耳をつんざくような騒音を特定の回数聞くたびに、チョコレートを1つ与えられるものとした。5分という制限時間内で、騒音を長く聞き続ければそれだけチョコを多く獲得できる。そして1つ条件を設けた。作業終了後の次の5分間では、獲得したチョコを好きなだけ食べてよいが、食べ残した分は返却しなければならない。

 被験者たちは、「高獲得者」と「低獲得者」という2つのグループに分けられた。1つのチョコを得るために、高獲得者が聞く騒音の回数は少なく、低獲得者は騒音をより頻繁に聞かねばならない。