2014年4月、母親と二人で生活保護を利用して生活していた福島市の女子高校生が、得られた給付型奨学金を全額、自治体に収入認定され、返還するよう求められた。しかし2015年8月、厚労省は福島市の決定を不当とする裁決を下し、直後、生活保護世帯の高校生が得た給付型奨学金やアルバイト収入の用途を緩和する通達を発行した。

今回は前回に引き続き、当事者である女子高校生の立場からレポートする。

車上生活する困窮の中でも
夢に向かう歩みを止めなかった娘

生活保護世帯の高校生は夢を持ってはいけないのか生活保護世帯の高校生は、夢に向かって懸命に歩んでも、金銭的な問題から夢がどんどん遠のいていく状況に追いやられている

 現在、福島市内の県営住宅で母親の長門ミサトさん(仮名・39歳)と暮らす長門アスカさん(仮名・17歳・高校2年)は、中学3年の秋、給付型奨学金の存在を知って応募した。ミサトさんは、うつ病のため就労が不可能な状態にあり、現在も治療を継続中だ。アスカさん小学6年の夏から、母娘は生活保護を利用して生活している。

 母娘が生活保護を利用しはじめるまでの軌跡を紹介した前回に引き続き、今回はアスカさん自身の視点から、この奨学金収入返還問題と本人への影響を紹介したい。

 ミサトさんの実の母・姉が持ち込むトラブルに、母とともに翻弄され、数日ながら車上生活まで経験したアスカさんは、唯一の収入であった障害基礎年金を絶たれたミサトさんが生活保護を申請し、数日後に保護開始となった小学6年の夏のことを「生活保護が始まって、『少し、余裕ができたかな?』という感じになった」と語る。

 幼少のころから工作が好きだったアスカさんは、いつしか、「ゲームやアニメに出てくる近未来の建造物を作る仕事に就きたい」という夢を抱くようになっていた。時間さえあれば、将来作ってみたいビルの絵を描き、厚く丈夫な紙でできたお菓子の空き箱を素材に模型を作っていた。

 中学に進学したアスカさんは、「ラクだと聞いていたし、お金もかからないから」という理由で、部活は合唱部を選択。「建築家になりたい」という夢を漠然と抱いていたアスカさんは、中学1年の時、高等専門学校に建築専攻の学科があると知って「行ければなあ」と考えた。しかしながら、小学6年まで落ち着いて勉強できる環境になかったアスカさんの学業成績は中位の中~下。数学・理科も、どちらかと言えば不得意。

「でも中2のとき、『絶対に行きたい』という気持ちになりました。周囲も、『受験に向かって』という感じになってきて、『自分はこれからどうするのか?』を考えて。とにかく夢に向かって進むことをやめたらダメになるだろう、と」(アスカさん)