橘玲の世界投資見聞録 2015年10月22日

「借りたカネを踏み倒す“特権”」を失った
ギリシアの虚しい総選挙
[橘玲の世界投資見聞録]

チプラスは狡猾にうまくやっているのかも

 共通通貨ユーロでは加盟国の中央銀行は紙幣を自由に印刷することができないのだから、金融危機にあたって「最後の貸し手」としての機能を果たすことができない。7月の国民投票の結果を受けて欧州中央銀行(ECB)からの資金供給が止まると、ギリシアの銀行は現金が枯渇し、なけなしの預金を下ろそうとするひとたちの長蛇の列ができた。

 現在のEUは、ドイツ(メルケル首相)、ECB(ドラギ総裁)、IMF(ラガルド専務理事)の“トロイカ”によって動かされている。この三者から拒否されれば資金はどこからも借りられない。どれほどデモで叫んだところでATMから現金は出てこないという現実を突きつけられて、国民もようやく事態を受け入れるほかないと気づいたのだろう。だとすれば7月の国民投票は、政治的な茶番というより、ポピュリストのチプラスによる巧妙な“ガス抜き”ということになる。

アテネ中心部にある銀行。シャッターが下りているのは日曜だから     (Photo:©Alt Invest Com)


 チプラスがEUの要求に屈し、ECBからの資金供給が再開されたことでATMからユーロ紙幣をおろせるようになった。この単純な事実は、ギリシアのひとびとに想像以上の心理的な影響を与えたのではないだろうか。

 「民族の誇り」とか「国家の品格」とかいっても、お金がなければ生きていくことができない。とりわけ年金生活者にとっては、なけなしの年金が引き出せないことは生命の危機に直結する。その現実と比べれば、EUの横柄な要求を受け入れた振りをするだけで当面の不安が解消し、3年間で最大860億ユーロ(約12兆円)もの資金を受け取れるのだから、これほどおいしい話はない。このような見方からすれば、EU相手に狡猾に立ち回りちゃんと“実利”を確保したチプラスはなかなかうまくやっていることになる。総選挙で「反緊縮派」のデモが盛り上がらず、国民投票の結果を無視した与党が順当に信認を得たことは、こうしたギリシア国民の本音を表わしているのだろう。

反体制派の学生が拠点とするアテネ工科大学も閑散としていた       (Photo:©Alt Invest Com)
その裏手はジャンキーの溜まり場で、あちこちに注射器が落ちている    (Photo:©Alt Invest Com)


 ギリシアの財政が大幅な債権放棄なしでは持続不可能なことでは、専門家の意見は一致している。EUの政治家や官僚もこのことはわかっているだろうが、問題は資金拠出国(とりわけドイツ)の国民を説得する方途がないことだ。

 東西ドイツの統一にあたっては、ゆたかな西ドイツから貧しい東ドイツへの大規模な財政支援が行なわれた。経済格差解消のために課された連帯税(1991年から所得税7.5%、98年からは5.5%)など、東西統一から2014年までの支援総額は1兆3000億ユーロとの試算(ハル研究所)もあるから、それに比べればギリシアへの支援などわずかなものだ。

 それなのになぜ反発が生まれるかというと、旧西ドイツから旧東ドイツへの資金移転には「ドイツ人」という共通のアイデンティティがあるのに対し、EUはいまだに「ヨーロッパ人」というアイデンティティを生み出すことに成功していないからだ。「身内」と「他人」を区別するのは社会的動物であるヒトに組み込まれた進化のプログラム(本能)で、この感情を論理によって矯正するのはかぎりなく難しい。

 もちろん、声高な“分離主義者”の反対側には、「ヨーロッパという夢」を守るべきだと考えるひとたちがたくさんいる。EUは両者の狭間で綱渡りのような運営をせざるを得ないのだから、今回のように、ギリシアの空手形で資金を提供し、財政破綻とユーロ離脱を先送りするのが唯一の落とし所なのだろう。もちろんこれでは数年後にまた“危機”が再発するだろうが、その頃には自分たちは権力の座にいないかもしれないのだから、どうでもいいのだ。

海運業と観光業しかないギリシア

 ギリシアのGDPは日本の20分の1の25兆円程度で、海運業と観光業以外には農業・鉱業などの一次産業しかない。観光業は、アクロポリスの丘があるアテネのほかはエーゲ海の島々に集中し、海運業は海がなければ成り立たないのだから、ギリシアには「ゆたかな沿岸・諸島」と「まずしい内陸」の大きな格差がある。

アクロポリスの丘を眺める広場は観光客でいっぱい  (Photo:©Alt Invest Com)

 今回の旅行ではエーゲ海の島々を回ったが、世界的な観光地として知られるサントリーニ島、ロードス島、ミコノス島、クレタ島などはどこも旅行者でいっぱいだった。地元の観光業者に訊くと、金融危機の影響はまったくなく、外国人観光客はかえって増えているという。

 7月の国民投票直後の混乱期にはクレジットカードを拒否する店が現われ、ATMも使えないため、外国人旅行者に混乱が広がった。このため一部のホテルで8月、9月の繁忙期の料金を値下げして客を確保しようとする動きが広がり、それが大きく報道されたことでヨーロッパのひとびとが、ギリシアで格安のバカンスを過ごす絶好の機会だとやってきたのだ。チュニジアのテロで観光業は大打撃を受けたが、治安に関係のない経済危機では観光客はかえって増えるのだ。

 サントリーニは火山の噴火で島の半分が吹き飛び、三日月形の部分だけが残った景勝地で、絶壁となった西側から海に落ちる見事な夕陽を眺めることができる。それを目当てに別荘が建つようになり、それが白壁と青い屋根のホテルに改築されて、エーゲ海を代表する観光地になった。どこも1泊5万円ちかくするが、それでも夏の間はほぼ満室になる。観光の中心であるフィラの町の商店街は日曜の原宿のような混雑で、富裕層目当ての宝石店がずらりと並んでいる。

サントリーニ島の夕陽。対岸の島々は噴火前の島の一部  (Photo:©Alt Invest Com)
噴火によってできた絶壁に建てられたホテル      (Photo:©Alt Invest Com)

 以前、クレタ島でカフェのオーナーと話したことがあるが、彼は「ヨーロッパの旅行者がユーロを使えなくなるなんて冗談じゃない。クレタは観光でじゅうぶんやっていけるのだから、ギリシアがユーロから離脱するなら、クレタはギリシアから独立すべきだ」といっていた。

 私たちは無意識のうちに国家を単位として考え、「ドイツ対ギリシア」という対立の図式を思い描くが、ギリシアのなかにもさまざまな利害の対立と「格差」がある。


作家・橘玲の切れ味鋭い見解が毎週届く!
有料メルマガの
無料お試し購読受付中!
お試しはこちら

幸福の「資本」論|橘玲著 幸福の「資本」論 重版出来!
橘玲著

あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」。あなたが目指すべき人生は?
定価:1,500円(+税) 発行:ダイヤモンド社
購入はコチラ!
世の中の仕組みと人生のデザイン|橘玲のメルマガ配信中! 20日間無料 ザイでしか読めない!橘玲のメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」も好評配信中!
月額800円+税
いますぐ試す(20日間無料)

バックナンバー

»関連記事一覧を見る

海外投資必勝マニュアル&本

海外投資のノウハウが凝縮! ここで紹介しているコンテンツ、書籍はすべて、ネットから購入が可能です。さらに「海外投資実践マニュアル」は「海外投資を楽しむ会」の会員になれば割引価格で購入可能です。

作家・橘玲のディープなメルマガ
発売即重版決定! 橘玲の最新刊【幸福の「資本」論】発売!
橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
橘玲×ZAiONLINE海外投資の歩き方
作家・橘玲がメルマガ配信を開始!
subcolumn下影

ページのトップに戻る

本WEBサイトに掲載している全ての記事およびデータについて、その情報源の正確性・確実性・適時性を保証したものではありません。本サイトの提供情報を利用することで被った被害について、当社および情報提供元は一切の責任を負いませ ん。万一、本サイトの提供情報の内容に誤りがあった場合でも、当社および情報提供元は一切責任を負いません。本サイトからアクセス可能な、第三者が運営するサイトのアドレスおよび掲載内容の正確性についても保証するものではなく、このような第三者サイトの利用による損害について、当社は一切責任を負いません。また、併せて下段の「プライバシーポリシー・著作権」もご確認ください。