相対化の時代と
どう向き合うか?

 こうした事象を踏まえて行くと、現代社会においてわれわれは、「相対化の時代と、どのように向かい合っていくべきか」ということが問われているような気がします。

 私は、学生に対して「環境問題には、唯一の解というものはない」という話をいつもします。このことは、受験勉強などで、ひたすら答えを求める術を学んできた学生に対して、自分の頭で「考える」ことの大切さを伝えたいからです。1人の教員の目が行き届く、小さな教室の中では、こうした話も可能なのですが、組織の規模が大きくなり、対象が増えれば増えるほど「解がないから、自分たちで考えて」ということは困難になります。

 国の環境政策で、ある種、解のようなものを提供して、環境問題への国民行動を誘発しようとするのは、こうした理由からやむを得ないことだと思います。しかし、残念ながらその結果が、第13回で紹介した、「環境行動=エコバック」というステレオタイプな国民意識へと繋がっています。

 もちろん、政府の思惑として、エコバックは環境行動のひとつのきっかけを提供したに過ぎず、それが唯一の行動様式でないことは、百も承知のことだと思います。しかしながら、環境行動の第一歩としてエコバックがこれだけ定着してしまうと、国民の側では、唯一の行動様式に近い形での、ある種“絶対化”の認識がなされたのだと思います。

 環境に対する行動は、多様性に富むものです。こうしたことが徐々に認識されていく中で、エコバックは“相対化”(唯一の行動ではない)され、国民の側には、次に何をしてよいのかわからない状況が生まれているのです。

 「相対化の時代」の特徴は、多元性や多様性だと思います。こうした中、「選択肢はたくさんあるはずなのに、何を選んだらよいのか、何から手をつけたらよいのか、わからない」という状況が、皮肉にも生まれているのです。

自らを相対化できていない
政治の世界

 国内の政局にもう一度目を転じてみましょう。戦後長らく続いた自民党政治に対峙する唯一の極として、華々しく政権交代を果たした民主党ですが、迷走する政権運営の結果、いまでは民主党自体がすっかり“相対化”(変革を担う唯一の極ではなくなった)されてしまっています。こうした状況の中、新党が次々と誕生していますが、このこと自体も多様性に象徴される「相対化の時代」の必然なのかも知れません。

 このように、与党となった民主党は、国民の側からはもはや変革の唯一の極ではないとして「相対化」されているにも関わらず、政治とカネなどの問題で混迷の度を深めていくのは、自らを「相対化」できていない証なのかも知れません。

 また、本来であれば、こうした状況の打開を計るべき野党第一党の自民党が攻めあぐねている感があるのも、絶対的与党の立場から一転し、一野党として「相対化」されたにもかかわらず、未だ自らを一野党として「相対化」出来ていないからだと思うのです。