それどころか、一時は核燃料や使用済み核燃料を保管するプールの水が蒸発し、新たな被害が起きる可能性も懸念されていた4号機の構内に入ることもできた。

 そして、震災翌日水素爆発した1号機の前──。最も被害が大きかった建屋には、巨大なスクリーンが掛かり、静かに廃炉の準備が始まっているという。

 数メートルしか離れていない場所に立って見上げたとき、私は事故後一日も、いや一秒も休むことなく事故の収束と除染、さらには廃炉に向けて葛藤してきた多くの人々の存在に頭が下がった。

 今なお、震災について語るとき「あの日から時計が止まった」という言い方をする。

 だが、それは誤りだ。震災後も時はずっと刻まれ、多くの人の奮闘が、気の遠くなるような歩みを続けていたのだ──。

 そんな思いをかき消すように、線量計から立て続けに2度警告音が鳴り、引き上げ時を告げた。

 事故後、多くの日本人は原発は悪であり、原発のことなんて考えたくないと思ったに違いない。だが、事故現場は厳然とそこにあり、人の手がなければ、収束の道は開かれない。誰もが忘れたいと思う現実を、ここで作業を続ける人たちだけは、絶対に忘れるわけにはいかないと受け入れて闘ってきた。

 この先、約40年──この非日常の日常は続く。

 科学技術は人を幸せにするために研さんを積み発展してきた。だが、あの日以来、科学技術の進化に大きな疑問符が付けられた。

 また、事故を起こした東電は、企業として瀕死の状態のまま現在に至っている。

 その現実を見据え、そして、そこから浮かび上がる科学文明を築いた人間のありさまを考えるときが来ている。

 それを、『ハゲタカ』シリーズという世界を使って描こう──。

 そう決心し、1Fを訪ねた私は、きっとそれが、未来の日本の指針になるのではと固く信じて時を刻むことにした。