上海万博が開幕し、さらにW杯南アフリカ大会の開幕も目前に迫っている。世界経済がどん底から脱しつつあるこのタイミングにおいて、新興国の「ナショナル・イベント」に消費刺激効果を期待する声は、世界規模で高まっている。過去の日本における東京五輪や大阪万博のケースを見ても、イベント効果は確かな都市の発展、ひいては国力の強化に繋がる。だが実際のところ、上海万博と南アW杯には、現時点でも経済効果の見通しに「明確な差」がついている。その理由を分析すると、ナショナル・イベントの開催に躍起になっている各国への教訓が見えてくる。(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)

石原都知事も昔は軽んじていた?
ナショナル・イベントの絶大な効果

 「オリンピックにあるのは、国家や民族や政治、思想のドラマではなく、ただ人間の劇でしかない」

 この一文は、何を隠そうかの石原慎太郎・東京都知事が、東京オリンピック(以下、東京五輪)の開幕時に読売新聞紙上に寄稿したエッセイの一部である(1964年10月11日付け)。

 まだ政界入りする前の石原氏にとって、五輪とはさほど大きな意義を持つイベントではなかったようだ。その後も同紙上において、日本選手の成績不振を嘆きながら、ナショナリズムの欠如を指摘している。

 そんな石原氏が、約50年の時を経た今、都知事として2016年開催の五輪を東京都に招致しようと尽力した姿は、記憶に新しい。立場や時代が変われば考え方も変わるのか、都政における五輪の必要性をあれほど声高に叫ぶ姿は、東京五輪の時代には誰にも想像できなかったに違いない。

 翻意(?)の理由は何か。そこにはやはり、政治的な“うまみ”があると解釈するのが妥当であるはず。五輪のような世界規模のイベントがもたらす経済効果は、やはり行政や自治体にとって大きな魅力なのだ。

 大不況の爪痕が消えない新興国では、ナショナル・イベントが相次いで開催されている。

 北京オリンピック(以下、北京五輪)に続いて「中国の景気の先行きを運命づける」と言われる上海万国博覧会(以下、上海万博)は、連日超満員の大盛況。6月にはサッカーファン待望の南アフリカワールドカップ(以下、南アW杯)も開催される。

 都市の発展や国力の強化に繋がる莫大な経済効果を生み出すと言われるこれらのナショナル・イベント、果たして開催国や関連諸国にとって、不況から完全に脱出するための「起爆剤」となり得るのだろうか?