普天間基地の移設問題、社民党の連立政権離脱によって高まる退陣要求のなかでも、続投の意思を示し続けた鳩山由紀夫首相が6月2日、突如、小沢一郎幹事長とともに辞任した。首相が決断に至った背景に何があったのか、舞台裏に迫った。(文/政治コラムニスト、後藤謙次)

民主党 鳩山首相・小沢幹事長辞任の激震写真:アフロ

「いろいろ迷惑をかけたが粛々と身を引きたいと思う」

 6月1日深夜、鳩山由紀夫は初当選以来、鳩山と政治行動を共にしてきた側近に、電話で首相退陣の意思を伝えた。「朝までいっさい口外しないように」と厳命したが、その声はいつもどおり淡々としたものだったという。

 翌2日の午前8時過ぎ、民主党の緊急両院議員総会のお触れが回った。場所は衆院別館5階の通称「講堂」と呼ばれるホール。鳩山は目を潤ませながら語り始めた。

「国民が、聞く耳を持たなくなった。残念だし、私の不徳の致すところだ」

 首相就任からわずか8ヵ月。前日のテレビカメラに向かって繰り返した「続投宣言」から一転、退陣を内外に表明した。鳩山は米軍普天間基地移設問題への対応と、自らの「政治とカネ」の問題に対する責任に言及した。ここまでなら、支持率が急落した首相の首のすげ替えで急場をしのいできた、自民党政権の首相退陣劇となんら変わるところはなかった。

 しかし、ここからは大きく違った。鳩山は徐々に声の張りを上げながら、真正面の席に座る小沢一郎の名前を口にした。

「私は政治とカネに決別する民主党を取り戻したいと思っている。このことで私自身はこの職を引かせていただくが、併せて小沢一郎幹事長もその責めを果たしていただかなければならない」

 今回の首相退陣劇の最大の特徴は、この首相と幹事長というツートップの同時退陣にあったのだ。

首相主導で仕掛けたツートップ同時辞任

 鳩山はいつ頃から辞任を考えていたのか──。鳩山自身は「(退陣表明の)10日か1週間くらい前から、そのことを自問自答していた」と語る。しかし、複数の鳩山側近は、大型連休前後から「退陣」の2文字が頭の中に去来し始めていたと証言する。

 きっかけは小沢に対して東京検察審査会が「起訴相当」の議決をしたことだった。鳩山側近グループ、および反小沢派の議員たちは、厳しい国民世論の反発を受けて、口々に鳩山に「小沢切るべし」を進言した。