世界26ヵ国に180以上の生産・開発拠点を持ち、150を超える国で事業を展開しているブリヂストングループ。創業の翌年から海外への市場調査とともに輸出を開始するなど、早くから世界を目指して事業を展開している、グローバルネットワークが強みだ。タイヤ事業だけにとどまらず、自動車部品、スポーツ用品、自転車などの多角化事業を展開し、社会から必要とされる企業を目指すブリヂストンの津谷氏に、世界トップシェア企業となった裏側、グローバルな視点から考える経営体制や組織体制、人材育成について伺った。

22年間続いた苦悩の歴史に終止符を
グローバル経営の鍵とは

多田 御社はグローバルに事業を展開されていますが、グローバル化のきっかけとなった出来事は何だったのでしょうか。

22年間続いた苦悩の歴史に終止符を――<br />抜本的な改革をしたブリヂストンブリヂストン
津谷正明 代表取締役CEO兼取締役会長

津谷 きっかけは1988年にファイアストン社を買収したことでした。買収の背景には、1960年代から始まった技術革新があります。いまでは世界中で主流になっている高速走行に強いラジアルタイヤがヨーロッパから広まり、市場が変わり始めたのです。そうした流れの中で当社も一気に変革を進めるために買収を決断。当時、ファイアストン社はブリヂストンよりも大きく、北米、中南米、欧州で多くの生産設備を持っていて、国際化がはるかに進んでいた会社でした。しかし、買収してからが苦労の連続でしたね。

多田 ぜひその苦労をお聞かせください。

津谷 買収は戦略的にも間違っていなかったのですが、われわれはそれまで異なる市場環境、労働環境、文化、国民性のなかで事業を成長させていくという経験がなく、特に西欧社会について理解しきれていなかったため、意思疎通が難しかったですね。

 というのも、日本企業は機能別に横並びの組織であることが多いため、権限や責任の所在が曖昧ですが、アメリカ企業の場合は権限や責任がはっきりしています。文化の違いから、アメリカの経営陣との議論が進まなかったのです。

多田 それをどのように克服されたのでしょうか。

津谷 混乱の連続で、お互いに不信感を抱く状態に終止符を打てたのは、それから22年後の2010年でした。この年に、ブリヂストングループのポリシーや戦略のもとでアメリカの事業を動かせ、日本としっかりコミュニケーションを取れる人々を経営陣に迎えました。

 もちろん、改革のために日本側も努力をしました。どんな経営チームが必要で、日本側に足りないのは何かを探りながら改革を進めた結果、米州事業の業績は持ち直し、グループ全体の業績も2010年からは右肩上がりになりました。

多田 22年という長い間苦難が続いていたのですね。

津谷 そうです。苦難の連続だったから、過去を知る先輩方は驚いていますよ。20年以上変わらなかったアメリカと日本との関係が改善された上に、ずっと足を引っ張っていたアメリカの事業で利益を上げているのですから(笑)。

多田 2010年からたった5年で、業績に差を出されているのは本当に素晴らしいです。何の影響が一番大きかったと思われますか。

津谷 一番は、相手のことが分かるようになったことですね。アメリカ人の考え方が分かるようになったので、グローバル経営チームにふさわしい人材を選べるようになりました。

 また、これまでとは比較にならないほどコミュニケーションに時間を使っているのも大きなポイントです。毎週の電話会議に加えて、お互いに年に何度も行き来し、直接顔を合わせています。そうしてコミュニケーションを取るなかで実感したのは、アメリカ人は新しいアイデアを次々と出してくるということ。日本人と違って、失敗を恐れていないのでしょうね。面白いなと思いました。

多田 改革の中で津谷さんが大事にされたことは何ですか?

津谷 私が大切にしているのは、コミュニケーション、チームワーク、ボトムアップの3つ。2012年に代表に就任したとき、代表取締役の西海とツートップ体制で経営戦略をつくりました。随分話し合いましたね。これも機能しているのだと思います。