高齢者地域になりつつある「ニュータウン」、
これからどうする?

「頼りになるのは遠くの親類より近くの友人」が新しい高齢者ケアのかたちに

 ニュータウンと呼ばれる郊外団地が、一足早く高齢地域になりつつある。高齢化率が全国平均をはるかに上回る40%前後に達してきた。1970年前後に丘陵地や田畑を開発して突如生まれたニュータウン。都心部より広い間取りは夢のマイホームと呼ばれた。育った子どもたちが独立すると、残された親たちはもう古希も間近に。

 地域のライフスタイルが一変し、ファミリーや若者向けの洒落た服飾品や文房具、玩具などはマーケットとして成り立たない。かつての賑いが消えた団地内商店街はシャッターが下りたまま。

 住民の多くが長時間通勤をものともしなかったが、退職後の楽しみを見出せない。それでもまだ介護を受けるほどの心身の衰えには至っていない。しかし、あと10年経てば要介護状態は目前。すでにマイカーの運転がおっくうになり、坂道の多い自転車も敬遠がち。引きこもりの前兆が忍び寄っている。

 こんなニュータウンが全国に2000もあるという。放って置けない状態である。

 もともとニュータウン構想は、産業革命の負の側面を克服するプランとして英国ロンドンで提唱された。林立する工場、農村から来た多くの労働者、劣悪な労働現場、悪化する生活環境。カール・マルクスに「資本論」を執筆させた悲惨な社会があった。資本主義の原始的蓄積期である。労働者の団結と決起を促したのがマルクスなら、改良主義者として新天地を描いたのがエベネーザー・ハワード。19世紀末に計画的な「田園都市(ガーデン都市)構想」を描いた。

 農作業による自然との共生。職住近接型の新しい都市作り。住民自身のコミュニティ形成も促す。立案だけでなく、ハワードはロンドン北郊で田園都市を実現させ、英国政府が第二次大戦後に便乗、普及させた。これが、ニュータウンとして世界に知れ渡り、日本版も登場した。

 小林一三の鉄道沿線開発、渋沢栄一の東京・田園調布の街づくりはその代表例と言われる。日本経済の伸び盛り、高度成長期には都会で働くサラリーマンたちのベッドタウンという日本独特の装いを凝らし、あっという間に全国に広がった。国交省はニュータウンを「1000戸、あるいは3000人以上の増加事業」と定義し全国リストを作成している。

 半世紀近く経って「オールドタウン」に変容したが生活環境などハードはそのまま。高齢住民のための生活サービスや介護・医療態勢が全く追いついていない。近い将来の「危機」を案じる声が高まりつつある。

 そんな状況の中で、いち早く「危機」を肌で感じ、再生へのレールを敷いたところがある。それも、デベロッパーや自治体、介護事業者などの既存組織に頼らず、住民自身が始めた。画期的な試みと言えるだろう。その軌跡を辿ってみる。