――結局、それは収益につながるのか?

――つべこべ言わずに、結果を出せ!

――まずは、売れてなんぼの話だろ?

 こんな言葉が、いろいろな所で飛び交うようになってきています。

 いつの間にか多くの仕事から大切なものが削ぎ落されて、その「質」が変わってしまった観があります。

 成果主義という人事評価システムが日本でも導入され、今日では多くの企業や組織でも用いられるようになっていますが、これが、近年私たちの仕事を変質させている背景にあるのではないかと思われます。

 成果主義は、「タテ社会」の生んだ年功序列制の不公平感や理不尽さを払拭する合理的な方法として歓迎される一方、このシステムの問題点についても活発に議論されるようになってきています。中には、この評価システムが従業員の心身の負荷を増大させ、「うつ」等による休職者増加の一因になっているのではないかという指摘もあります。

 ここでは、成果主義というシステムが人間の精神に及ぼすさまざまな影響について、掘り下げて考えてみたいと思います。

〈目標・計画・実行〉―実は「人間」にむかない方法論

 成果主義とは、自分で何らかの達成目標を設定し、それをある短期間(1ヵ月~半年程度)でどの程度達成できたかによって評価を下す制度です。

〈目標を設定し、達成するための計画を練り、それを実行する〉

 この一見あたりまえで合理的な方法論が、成果主義の前提にも据えられています。機械ならばこれが最も理にかなった方法なのですが、人間がこの方法を採用した場合には、さまざまな問題が生じてしまいます。

 人間を含めた生き物の最大の特徴は、その即興性にあります。

 しかし、このように合理的に計画された方法論によって、人間の持つ即興性は窒息してしまい、「量」的には目標を達成できても、「質」的には「死んだもの」が生み出されてしまうことになるのです。

 マニュアルに従ったサービス、レシピ通りに作った料理、老舗のチェーン店展開、教えこまれた解釈通りの演奏、原稿を棒読みするスピーチ、等々の中に、即興性という命を失った実例はいくらでも見つかります。

 これらは、いずれも合理的観点からは何ら問題がないように見えても、劣化コピーのように「質」的な問題が生じているのです。

 生産性や効率性を管理する側にとっては、こういった合理的アプローチは理にかなっているように見えますが、働いているのが生き物である人間である以上、このように「質」的な劣化が生じてしまうことを忘れてはならないのです。