橘玲の世界投資見聞録 2016年1月21日

「世界でいちばん幸福な」リベラル福祉国家、
デンマークの“右傾化”が突き付けていること
[橘玲の世界投資見聞録]

リベラルな国デンマークの思想信条

 もちろん私はここで、デンマークがナチスのような人種差別国家になっていく、などと主張したいわけではない。実際に訪れるとわかるが、デンマークは(物価が高いことを除けば)旅行者にとってとても快適な国だ。石造りの古い建物を残しながら、車と自転車、歩行者を機能的に分離した都市はきわめて魅力的で、美食の街としても頭角を現わし(「世界最高のレストラン」Nomaはコペンハーゲンにある)、外国人という理由で差別されるようなことは考えられない。

コペンハーゲンの運河

 

 そんな“リベラル”なデンマークをよく表わしているのが、女性映画監督スサンネ・ビアのアカデミー外国語映画賞受賞作『未来を生きる君たちへ』だ(原題は「復讐」。英語タイトルは“In a Better World”=「よりよい世界のなかで」)。

 主人公のアントンは、アフリカの難民キャンプで医師として(明示されていないが「国境なき医師団」だろう)働いている。だがアントンが、デンマークに妻と二人の男の子を残してボランティアに打ち込む理由は善意だけではない。彼の浮気が原因で、妻との関係がうまくいかなくなっているのだ。

 アントンの息子のうち、兄のエリアスは前歯が目立つことから小学校で「ネズミ」と呼ばれ、いじめられている。そんなエリアスの親友になったのが、がんで母親を失い、父親との確執を抱える転校生のクリスチャンだった。

 クリスチャンは、エリアスをいじめる男子生徒が自分にも手を出そうとしたとき、逆に徹底的に殴りつけ、ナイフを見せて「次は殺す」と脅した。この「復讐」によって、エリアスへのいじめもなくなった。

 

映画『未来を生きる君たちへ』

 

 事件は、アントンが休暇でアフリカから帰国したときに起こった。二人の息子とクリスチャンを公園に連れて行ったとき、遊具をめぐって別の子どもと諍いになり、そこにアントンが割って入った。すると相手の子どもの父親ラース(明示されていないが明らかに移民風)が現われ、「息子に手を出すな」といきなりアントンを平手打ちしたのだ。アントンはそれに対して報復も抗議もせず、黙って子どもたちを車に乗せる。

 目の前で父親が殴られたことで、エリアスは大きなショックを受ける。彼が学校で学んだのは、「やり返さなければやられ続ける」というルールだからだ。そこで子どもたちはラースを探し出し、彼の仕事場(自動車整備工場)にアントンを連れて行く。父親に「復讐」の機会を与えるためだが、ここでアントンは思いもかけない行動に出る。

 突然職場に現われて「なぜ暴力をふるったのか?」と詰問するアントンを、ラースはにやにや笑いながらふたたび平手打ちする。だがここでもアントンは報復せず、「お前の暴力は恐れない」といいながら理不尽に殴られつづけるのだ(トラブルになるのを恐れた整備工場の同僚が止めに入った)。

 その後アントンは、エリアスとクリスチャンセンに次のようにいう。「あいつは暴力をふるうことしかできない愚か者だ。愚か者の暴力に、暴力で報復することになんの意味もない」――ここは「リベラル」の思想信条がよくわかる俊逸な場面だ。

 最初の公園の場面だけなら、「バカを相手にしてもしょうがない」という軟弱な知識人の保身にも見える。だがそれなら、わざわざもういちど、それも子どもの前で殴らるようなことはしないだろう。

 日本映画で同じ場面が描かれたとしたら、観客はそうとう奇異に感じるはずだ。主人公の行動にまったくリアリティがないからだが、これはアメリカ映画でも同じで、悪漢に殴られた主人公は殴り返さなければヒーロー(主人公)の資格がない。

 なぜデンマークでは、右の頬を打たれたら左の頬を出すような(かなり奇妙な)場面が現実=リアルとして受け止められるだろうか。それは観客が、アントンを突き動かしている信条を共有しているからだ。

 20世紀後半から、リベラルの新たな潮流が(北の)ヨーロッパを席巻した。それは、人種差別や女性への暴力、子どもの虐待(さらには「動物の権利」の侵害)に対する強い拒絶感情だ。1990年代の凄惨なユーゴスラヴィア紛争を間近で見たヨーロッパのひとびとは、あらゆる暴力を否定するという「原理主義」に急速に傾いたのだ。

 父親としてのアントンの奇矯な行動は、こうした背景があってはじめて理解できる。息子が理不尽な暴力を恐れるようになったと危惧したアントンは、「いかなる暴力も問題解決の手段としては使わない」という信念の優越を示すために、わざと子どもたちの前で殴られてみせたのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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