今でも水曜日と土曜日には店頭回りを欠かさないようにしている。大西社長は「店頭という現場には小さなことに大きな学びがあるからだ」と言う。大胆な改革を進める大西社長を支える経営哲学とは。(聞き手/ダイヤモンド社論説委員 鎌塚正良)

「新しい市場を創造する」ために必要なものは何か Photo by Yoshihisa Wada

メンズ館のリモデル成功は靴から始まった

――大西さんと言えば、2003年9月にリモデルオープンした伊勢丹新宿本店「メンズ館」を成功に導かれた実績がまず挙げられます。リモデルのきっかけは何だったのですか。

大西 もともと伊勢丹は婦人が強かったので、紳士の優先順位が低く、リモデルをしたいと思ってもどうしても婦人が先になってしまうという状況でした。このままではいつまでも紳士のリモデルができないので、そこを何とかしたいと思っていたのです。

 そのために何をすれば良いかをずっと考え続け、ある一つの方法論にたどり着きました。それは当時の社長であった武藤信一に、どんな些細なことでもよいから繰り返し伝え、紳士について理解してもらうことでした。武藤は婦人の出身でしたが話はきちんと聞いてくれる。次に実績をつくって認めてもらおうと。それがイギリスのシューズメーカーの老舗、エドワード・グリーンの販売でした。

――まず靴で実績をつくる。

大西 ええ。エドワード・グリーンはすべて手作業で年間1万足しか作らない。なんとか導入したいと思って、以前からバイヤーが何度も足を運んでいたのですが門前払いが続いていました。

 それが、私が商品部長の時にやっと、「1~2週間ぐらいのプロモーションならいいでしょう」と言ってもらえた。バブルが弾けた後のことで、決して景気の良い時代ではありません。紳士靴で最も売れる価格帯が2万9000円ぐらいなのに、1足15万円から20万円もする靴が本当に売れるのか、と危惧されました。

 しかし私は売れると思っていました。お客さまの買い上げ動向のデータを分析してみると高額な商品がぽつぽつ売れ始めていたのです。それでも実際に1週間で100足が売れたときはびっくりしました。

 やはり、こだわりを持ったお客さまはいらっしゃる。そして1週間接客していると、こうしたお客さまは着ている物やバッグにもこだわりを持っていらっしゃることがわかります。こういうお客さまを囲い込むビジネスモデル、すなわち「メンズ館」は可能だと思いました。実際、プライスライン(中心価格帯)が3万円ぐらいのバッグでも、8万円とか10万円するファクトリーブランド品が売れていたのです。

――旧「男の新館」を「メンズ館」に変える。投資額は約50億円。これは伊勢丹としては大胆な投資決断でしたね。

大西 社長の武藤からは「覚悟はあるのか」と尋ねられ、「あります」と。失敗したら本当に辞める覚悟でいました。

 武藤からは「4人に1人から、3人に1人にしろ」とも命じられました。どういうことかと言いますと、当時、東京23区の百貨店の紳士の売上高はおよそ1200億円で、そのうち旧「男の新館」が340億円ぐらいでした。つまり4人に1人が新館で買ってくださっていた。リモデルでは、これを400億円、つまり3人に1人にする。これが命題というか目標でした。

――メンズ館は、オープンから2年で400億円を達成して社長との約束を果たした。

大西 武藤はアナリストたちからずっと投資判断を批判されていたようです。結果が出た後でも、「たまたま成功しただけだ」と言われたそうです。社内でも反対論が多かったので、賭けにも似た判断だったかもしれません。しかしメンズの新たなマーケットを創造できたのは確かだと自負しています。

――なぜ成功したと思いますか。

大西 まず武藤自身が紳士を変えたがっていた。武藤は、変わったことを論理立ててやろうとすると、ものすごく反応してくれる人でした。そこにエドワード・グリーンの成功があり、私たちの仮説に共感してくれたのだと思います。

 ただ社内の反対も多く、武藤自身も立場上、先頭で旗を振るわけにはいきません。そこで武藤の意をくむ役員が私に付いてくださり、武藤自身は影から背中を押し続けてくれました。

 もう一つが、紳士の社員がとにかく一所懸命に働いたことがあります。元々社内でも「紳士は体育会系」といわれ、一種独特の雰囲気があったのですが、この時は400人の社員をはじめ、お取組先を含めると1000人規模の集団が、それこそ一丸になってくれました。全員がメンズの新しい市場を創造するという目標に向かって本当によく働いてくれたと思います。