独身男性が仕事で成功すると羨ましがられるのに、独身女性は仕事で成功しても羨ましがられないどころか、見下される……。そんな感情を抱く相談者に対して、楠木氏の仕事論が炸裂します。書籍『好きなようにしてください』の一部を紹介する連載、最終回。

 

仕事で成功しても、女として負けですか?
システム会社勤務(36歳・女性)
 大学卒業以来、いくつかのコンサル会社を経て現在のシステムインテグレーター(SIer)に転職。先日、シニアマネージャーに昇進しました。裁量は増え、社内やクライアントへの発言力も増し、部下の育成にも注力し充実した毎日です。年収は1000万円超。欲しいものはだいたい買えますし、満足しています。毎晩残業続きですが……。
 でも、何がつらいかというと、母をはじめとする周囲の女性が私の生き方、働き方をあまり評価してくれない、認めてくれないことです。母は、「そんなに働いて……あなた、最近顔が険しくなった」「結婚するならいまがラストチャンスよ」などと言って脅してきますし、子どもを産み専業主婦になった妹は「子ども、いいよ~」が口癖です。子どもどころか旦那もいない私を明らかに見下しています。
 最近増えた、時短勤務のワーキングマザーの同僚なども「仕事に集中できてうらやましい」なんて言いながらも、哀れみの視線を投げかけてきます。男性は仕事で成功すると、別に独身でもうらやましがられるのに、女性は全然うらやましがられないどころか、かえって見下されるのはなぜでしょうか?
 また、こうした「家庭第一」の価値観の持ち主からの静かな攻撃をかわす方法などはありませんでしょうか?

 

「特殊読書」の悦び

 ちょっと回り道から入ります。極私的な趣味の話ですが、僕は「イヤな気分」になることが嫌いではありません。むしろ、わりとスキ。いや、時と場合によっては大スキといっても過言ではありません。

 たとえば読書。本には面白いものとつまらないものがあります。当然、面白いものは読みたいし、つまらないものなら読みたくない。ところが、僕にとってはそれとは別に「イヤなもの」というカテゴリーがあって、それは結構読みたい。私的専門用語で「特殊読書」と言っています。

 たとえば、石原慎太郎の『わが人生の時の人々』。良し悪しでなく個人的な好き嫌いなのではありますが、僕にとっては最悪の意味で最高です。俺様系自慢話のオンパレード。実にイイ感じでイヤな気分になれます。ちょっとイヤな気分に浸りたい時など、繰り返し読むのに最適な一冊として僕の本棚の特殊読書コーナーに鎮座しています。

 いまは好むと好まざるとにかかわらずインターネットでいろいろなニュースや記事に触れるわけですが、時々すごくイヤな気分になる記事と出くわすことがあります。これがわりと嬉しい。

 この捻じ曲がったヘンな感情はどういうことなのかな、と自分でも時々不思議になるのですが、ある人から「イヤになるというのは、どこかにひっかかりがあるからだよ。自分の興味関心の奥底に触れる何かがあるから、読んでいて面白いんじゃないの」と言われたことがあります。

 なるほど、と思いました。イヤな気分になるということは、どこかで自分に深く関わっている。まったく何も関心がなく、自分と考え方が違うだけなら、イヤになる以前に、ただの「つまらないもの」としてスルーされるという成り行きです。

 石原慎太郎の著作にしても、回想録やご自身の主張が書かれたものはいつ読んでも心の底からイヤなのですが、若い頃に書かれた小説はわりと、というかかなり、というかありていに言って大スキなんですね、これが。『太陽の季節』や『狂った果実』『殺人教室』といった文学系のもイイのですが、エンターテイメント長編の『夜を探せ』とか『青春とはなんだ』、ミッド昭和の香りがぷんぷんするこの系統の作品は、実に面白くてスカッとする小説でして、中学生の頃はトリップに次ぐトリップの勢いで読んでいました。そう考えると、「自分の中の石原慎太郎」というものが確かにあるわけで、ちょっと寒い気持ちがするのがまたオツなものです。