集団への忠誠心が高じて、非倫理的な行為を招くことがある。では、忠誠心が弱いほうが、倫理面では望ましいのだろうか。数々の興味深い実験によって、結果はむしろ反対であることが示された。


 企業のスキャンダル、政界工作、あるいは犯罪組織の殺人など、さまざまな事件をめぐるメディアの報道では、腐敗や悪の主因としてしばしば「忠誠心」が指摘される。同僚の不正を知りながら、仲間意識のために報告をしなかった従業員。集団で組織の金を使い込んでおきながら、仲間内では互いに忠実であり続けた従業員たち。こうした内容の記事を目にする方も多いだろう。

 ほとんどの人は、何らかの忠誠心を持っている。それは自分の一族、仲間、組織への帰属意識かもしれない。あるいは大義に忠実であろうとすることも含まれる。このような忠誠心は多くの場合、私たちの社会的アイデンティティを形成する重要な側面となっている。仲間集団に対する帰属意識は、人類の進化に深く根ざしたものであり、かつては種の生存・繁殖のためにも必要であった。

 メディアを賑わせる不正事件の数々を見ていると、忠誠心とは往々にしてよからぬもので、公私のさまざまな面で災いの元になるかのような印象を受ける。しかし、私がカリフォルニア大学バークレー校のアンガス・ヒルドレスおよびハーバード・ビジネススクールのマックス・ベイザーマンと共同で実施した最近の研究からは、忠誠心に関するこの懸念が総じて見当違いであることが示唆されている。集団に対する忠誠心は、むしろ正直な行動を促進するという結果が出たのだ(英語論文)。

 我々は9件の異なる実験からデータを集めた。その参加者は、大学生、成人就労者、大学内の友愛会のメンバーなど、1000人以上にのぼる。

 ある実験では、参加者を無作為に3人1組のグループに分けて、話し合いをしてもらった。全グループのうち10組には、忠誠心について10分間話し合ってもらう。その後、以下の「忠誠の誓い」に署名してもらった。

グループへの忠誠の誓い
 私は、今回の実験の間、自分のグループを支え、誠実公正という原則を守ることを厳粛に誓います。グループの利害を守るために、私の時間と労力を私心なく分け与えることを約束します。グループの一員として、私の能力と理解の最善を尽くして務めを果たします。いかなる場合であっても、私の行動がグループに対する不誠実を意味した時には、相応の報いを受けることに同意します。

 

 それ以外の9組のグループには、無関係な話題(グローバル化)のみについて10分間話し合ってもらい、忠誠の誓いは行わなかった。

 次に、グループをバラバラにして、各自にテスト用紙を渡し、そこに書かれた数学のパズル数問を独力で解くよう求めた。その後、答えが記入された用紙を回収して採点するのではなく、参加者に答えを渡して自分で採点してもらった。そして用紙はリサイクルボックスに捨てるよう伝え、正解した問題の数を自己申告してもらった。

 参加者はインセンティブとして、正解1問につき25セントがもらえる。同時に、先ほどの3人1組のメンバーにも、正解1問につき25セントが与えられる。

 このような手順を設定して、参加者に正解の数を不正申告するチャンスと誘惑を与えた。監視はなさそうだし、参加者(そして同じグループのメンバー)は不正から明らかな恩恵を受けることができる。この設定によって、組織に内在する現実の危機的状況を模しているわけだ。

 参加者に知られぬまま、我々はリサイクルボックスから用紙を回収して、問題に隠されたID番号によって各自の身元を特定した。結果はどう出たか。忠誠の誓いを行った参加者のうち、20%が不正申告していた。だが、誓いを行わなかった参加者はその2倍以上、44%が不正をしていたのだ。

 似たような手順のフォローアップ実験では、パズルを完成させた参加者はみずからの手で現金を取ってよい、という設定にした。すると結果はさらに明白であった。誓いを行った人のうち15%が不正申告したのに対し、誓いを行わなかった不正者は43%にのぼった。

 このように忠誠心は、倫理的な原則の重みを際立たせる。倫理的に振る舞うことが正しい行動である、という事実を人に強く意識させるのだ。