「僕は客寄せパンダで十分」三浦知良が現役を続けられる最大の理由取材は東京都港区にあるテーラー、サルトリア チッチオにて。2007年以来、カズはこの店で50着以上のスーツを作っている(撮影:Megumi Seki/スタイリング:Daisuke Ishii[mybox]/ヘアメイク:Kazunori Miyasaka[mod's hair])

 2016年、日本サッカー界を代表する孤高のレジェンド、三浦知良が、プロ契約30年という節目を迎えた。ブラジル時代、Jリーグ発足時から日本代表での栄光と挫折、欧州リーグへの挑戦、逆境からの再起、そしてこれから──。『アエラスタイルマガジン 30号』(朝日新聞出版)であますところなく語ったカズのサッカー人生。その一部を紹介する。

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 カズがブラジルのサントスFCでプロデビューしたのは1986年2月のことだ。このとき19歳。日本人プレーヤーは、屈辱を味わい、時に嘲笑されながらも成長し、やがて誰もが知るトッププレーヤーへと駆け上っていく。

「僕は客寄せパンダで十分」三浦知良が現役を続けられる最大の理由AERA STYLE MAGAZINE(アエラスタイルマガジン)2016年3/24号 朝日新聞出版 定価:900円(税込)

 1990年に帰国したカズは、1993年のJリーグのスタートとともに、日本サッカーの顔として走りだす。「ドーハの悲劇」を味わったあと、アジア人として初めてイタリア・セリエAの門をたたいたカズは、その後も日本代表のエースとして君臨しつづける。

 しかし、1998年6月、ワールドカップフランス大会の直前、カズは、日本代表をはずされてしまう。日本中に衝撃が走り、誰もが失望した。ましてや、「日本をワールドカップに連れて行く」と言ってブラジルから帰国し、その後も旗を振りつづけてきた本人の失意はいかばかりだったか。カズは悔しさをのみ込み、次のステージへと向かっていく。カズが選んだ新天地は、クロアチアリーグだった。

「一回日本とは違うところでゼロからやりたかったんです。外へ出たかった。あそこで、ほかの国じゃなくてクロアチアという選択をしたことが大きかった。クロアチアで生活した8カ月はいま僕がサッカーを続けていることにつながる大きな分岐点だったと思う。ディナモ・ザグレブでゴラン・ユーリッチという選手と会って、サッカーを楽しむと同時に人生を楽しむことを学んだんです。彼がオフの時間の使い方、ファッションや食、生きる姿勢、そんなものを見せてくれて、サッカー選手として大人にしてくれたんです」

 帰国したカズは、1999年、トルシエ監督のもとで日本代表に再び招集され、2000年の国際Aマッチでは2得点を挙げた。クロアチアがカズを再びよみがえらせたのである。

 カズは、その後、J1のヴィッセル神戸に所属していた2005年7月、現在も所属するJ2の横浜FCへと電撃移籍する。