おそらく、明確で強烈な就職意識や職業意識はあまりないのだろう。あるならば、不本意な会社に長居することなく、20代の頃に転職するはずだ。中途半端な意識だからこそ、現在の会社でそこそこの安定を得れば満足してしまうのでないか。観察していると、このタイプは30~40代になると、数十年前の自らの学歴を語り、会社への批判精神が旺盛になる傾向がある。

熱烈な職業意識がない人たちの
ひとりよがりな実力感と安定感

 ある心理学者の言葉を借りると、「自分に失望しているから、妬みやひがみが強くなり、批判することしかできなくなる。それがひとりよがりな実力感と安定感をつくる」ということなのだろか。筆者には、こうした人たちは心の奥深くで自分にふがいないものを感じており、劣等感を抱えているようにも見える。自分への要求水準を下げれば解決するはずなのだが、それをしない。

「雇用流動化」という言葉に筆者が強い疑問を感じる理由も、このあたりにある。明確な職業意識を持った人の転職も増えているのだろうが、取材の場で転職の理由を尋ねると、こんな言葉を聞く機会のほうが多い。

「(前職の)上司がひどい」「(前の)会社がダメだった」――。こうした安易な考えで転職を繰り返すと、いずれ「キャリア破滅」になる。強い就職意識や職業意識を持つならば、こうあるべきなのではないか。

「自分はこういう職業で生きていくが、今の会社ではそれができなくなりつつある。だから、できる会社に転職する」

 ところが、こんなことを言い切る人は、これまで筆者が接した中では少なかった。「イエスマン量産」教育は、企業社会の根深い問題と表裏一体になっているように思える。また「イエスマン量産」教育は、マイナスに作用することも少なくない。松岡氏は自らの経験を交え、興味深いことを語る。

「会社を経営する身として言えば、社員たちがイエスマンであるほうが心地よいのです。多くの経営者は、不満や文句を言う社員よりは、言わない人のほうがいいはずです。結果として、会社の枠をはみ出すような社員の芽を摘んでしまいかねません。そんなイエスマンではない人の中にも、優秀な人はいるはずなのです。

 私は、会社員の頃を振り返ると、イエスマンとは言えない面がありました。我の強い部分もあったように思います。振り返ると、それを認めてくれる上司などがいたから、私の成長もあったのです。イエスマンは、会社の体制や進んでいく方向性が正しいならば、宝のような人材と言えます。社長の判断や戦略が正しく、それが上手く行っているときは、敷いたレールの上を社員がきっちり走ると成果は出ます」