ここ何度か、「フランスの植民地時代についての歴史認識は日本と大きく異なる」という話を書いてきた。
[参考記事]
●現代フランスはアフリカから生まれた!? なぜ北アフリカ出身の移民だけがフランスへの「同化」を拒否するのか?
宗主国にも植民地にもそれぞれの事情があり、「帝国主義」や「植民地主義」といった使い古された用語で一律に語ることができないのはいうまでもない。歴史をめぐる確執は政治的にも社会的にも微妙なテーマだから、部外者が軽々に口をはさむものでもないだろう。
しかしその一方で、ヨーロッパ諸国が「過去と向き合う」態度は、隣国とのあいだにやっかいな歴史問題を抱える私たちにもさまざまなことを考えさせてくれる。
フランスの歴史学者のなかにも、少数ではあるが、過去の植民地支配に対して批判的な学者がいる。今回はN.バンセル、P.ブランシャール、F.ヴェルジェスという3人の歴史家の共著『植民地共和国フランス』(岩波書店)から興味深い知見をいくつか紹介しよう。
著者のうちヴェルジェスはインド洋(マダガスカル沖)にあるフランスの海外県レユニオン島に生まれたベトナム系の血をひく女性で、フランスの知識人には珍しくカリフォルニア大学バークレー校で政治学の博士号を取得している。
フランスでは、もっとも「リベラル」な歴史学者も植民地時代に肯定的
フランスにおいては過去の植民地支配を肯定的にとらえるのが保守派・リベラルを問わず知識層の一般的な態度だが、例外的にフランスの植民地主義をきびしく批判する立場の同書でも「植民地時代にはよい面もあった」との断りが最初にくる。たとえば次のような記述だ。
植民地化とは、単に犯罪が行なわれた場だったのではない。それは誠意ある希望の場であり、たしかに人道的な行為が行なわれた場であり、支配関係のみには還元できない関係性が築かれた場でもある。多くの入植者のみならず、行政官や軍人や使節団の人びとが言うように、そこには誠実さや人道的な使命感に基づく行為があったのであり、それらを疎外であるとか偽善であるとみなすことはできない。
ここで言及されているのは、病院を建て近代医療を提供するためにアフリカに渡り、現地で伝染病に倒れたフランス人の医師や、学校を建ててフランス語を教え、近代的な教育を提供したキリスト教団体の宣教師などのことだ。彼らの「誠意」や「人道的行為」は、植民地主義の犯罪とは別に評価されなければならない。――これがフランスの常識的な立場だが、日本で同じことをいえば「歴史修正主義者」と見なされるだろう。
旧植民地国からの批判についても、著者たちの立場が最初に明らかにされる。
憤りは、それが信条となり自分はあくまでも正しいと思い込むと、みずからは何ら危険に身をさらすことなく、道徳をふりかざすようになる。つまり自分はつねに「正しい側」にあると信じ込んで、状況の複雑さに正面から向き合おうとしなくなるのである。(中略)
憤りのなかにとどまるならば、みずからも負うべき責任や加担したことについて考える妨げにもなるだろう。法廷という場は、過去を理解するのに最良の場ではない。裁判は過去を脱構築し、記憶を歴史に転換させる一つの契機ではあるし、被害者の声を聞き、加害者を裁く手段ではありうるだろう。だが裁判をしたからといって、民主化の推進という政治闘争が行なわれる空間全体を作り上げることはできないのである。
従軍慰安婦問題の論評のなかにこれと同様の記述があれば、“自虐史観”を批判し「正しい歴史教科書」をつくることを求める一派にただちに分類されるはずだ。しかしもういちど繰り返すが、これはフランスではもっとも「リベラル」な歴史家の見解なのだ。
そのうえで彼らは、過去を「憤りと告発の物語」や「記憶と悔悛の物語」に仕立てあげる昨今の風潮を批判する。「いま共和国(フランス)がすべきなのは、植民地の過去について謝罪することではなく、その歴史研究を奨励し、それについての知識を社会に広めていくこと」なのだ。
『フランス植民地共和国』という題名が端的に示すように、「共和国(フランス)」と「植民地」の歴史は密接に絡み合ってきたが、フランスでは植民地史はずっと歴史学の傍流に追いやられていた。だからこそ「植民地」をフランスの歴史になかで正しく位置づけることが必要なのだと著者たちはいう。
こうしたフランス版「植民地主義批判」のスタンスを確認したうえで、具体的な記述を見てみよう。

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