「まず、舛添さんは議会運営委員会に出向き、10分ほど話をして、リオ・オリンピックに出席して、次期開催都市として閉会式で五輪旗を受け取れるよう要請しているのですが、その中で『子どもを守るためには、すぐにでも辞めたい』と述べて嗚咽し、ハンカチで涙を拭ったそうです。話によれば、舛添さんの子どもに取材のトラブルがあり、そのことで奥さんと口論になったようです。それから、舛添さんは知事室に戻り、『伝わらないんだよな』と漏らしてがっくりと肩を落としたそうです。議会解散も辞さないと言って強気一辺倒だった舛添さんが、ここで弱気になってしまったんですね。そして、その日の夜から15日の朝にかけて、内田さんと話をしたそうです」

 内田氏とのこのやり取りが決定打となり、舛添氏は辞任を決めたのだという。一体、どんな内容だったのか?

「私が関係者から聞いているのは、内田さんは『これまで舛添さんを守ってきたのは、俺だけだったよな。リオ・オリンピックまで頑張ってみようと言ってきたよな。でも、もうかばいきれなくなってきた。俺に不信任案を出させるのか。今度は舛添さんが俺に返す番じゃないのか』というような話をしたそうです。そして、この話を聞いた舛添さんは、声を詰まらせ、『内田さんともっと早く話をしていればよかったです』と言ったそうです」

 そうして、6月15日午前、舛添氏は辞職願を都議会の川井重勇議長に提出した。

 一部報道によると、安倍首相が舛添氏に電話をして直接、引導を渡したという情報もあるが、舛添氏はこの報道を否定している。

「舛添さんは内田さんとの人間関係の中で辞任という結論を出したのです。そもそも、舛添さんは第1次安倍政権時代に自民党議員でありながら、安倍政権を批判していましたから、この2人の関係は最悪です。安倍さんが説得して、舛添さんが納得するはずがありません」

 舛添氏は東大法学部出身で学者を経て政治家に転身したエリートだ。一連の騒動で世間からの批判にさらされ続けた状況は耐えられないものがあっただろう。本人の主張では、政治資金の問題は合法であり、その“理屈”で歯を食いしばってきたが、最後の最後で辞任を決意したのは“情”だった。今も昔も政治の世界を突き動かしているのは、最後はこの論理のようだ。