36歳で飛び込み、若手に教えを請うたコンサルタント修業時代Photo by Yoshihisa Wada

コンサルタントは「職人」だ

 36歳の時、14年半勤めたJALを辞めて、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社した。その後の23年間はBCG1社だけで仕事をすることになったのだが、約7割の期間は3つの帽子をかぶってきた。3種類の仕事を兼ねてきたということだ。

 コンサルタントという「職人の仕事」。コンサルティングファームの「経営の仕事」。そして、そのどちらでもないが、両方と密接に関係する「課外活動」だ。

 課外活動には、書籍の執筆やテレビ東京の経済情報番組「ワールド・ビジネス・サテライト」のコメンテーター、経済同友会や国連WFP(世界食糧計画)協会の仕事など、種々雑多な役割が含まれる。BCGの場合、こういった仕事での収入はすべて会社に帰属することになっているので、本当の兼業・兼職というわけではない。

 しかし、「職人の仕事」「経営の仕事」「課外活動」の3つの間には相乗作用があり、それぞれが切っても切れないところがある。それ故、「課外」といっても、本業の一部でもあるのだ。このあたりも含めて、どんなことを考え、学んできたのかを、今回以降触れていきたい。

 今になってつくづく思うのは、BCGのコンサルタントというのは「職人の仕事」だな、ということ。職人扱いすると反発する若手がいそうな気もするが、これが実感だから仕方がない。私自身は、職人であることに誇りを持っている。

 BCGというファームは面白くて、グローバルの経営会議のメンバーでも、CEO以外は皆、現場でコンサルティングワークを続けることを義務づけられている。もちろん、現場感覚をなくさないためでもあるが、根本的には、「コンサルタントとして腕が良くないと、誰も言うことを聞いてくれない」という組織なのだ。その上で、マネジメントの手腕があれば、そういう役割につけばいい。どこにも書かれてはいないのだが、この感覚が世代を超えて共有されている。

 そして、理論を学ぶだけではコンサルタントとしての腕は上がらない。

 そもそもクライアントはなぜ我々に仕事を依頼するかというと、彼らだけでは解が出てこない、実行がおぼつかない状況がそこにあるからだ。仕事の大部分はそうした難題であり、これを何とかすることで初めて、我々の価格が正当化される。この難題だらけの現場で、時には修羅場を踏みながら体験を積み重ね、自分のものにしていく。

 こういうやり方で身につける類のものだし、スキルの中には、言語化できない部分も多い。従って、手を取り足を取って教えてもらうだけでなく、いわく言い難い部分を自分から盗みとろうという意欲と感性がないと、実力がついていかない。

 また、一人前になった後も、修業が続くのが宿命で、自分の面倒を見てくれた先輩を超えて、自分の個性が出てきて、初めて一流になれる。

 本質的には、BCGグローバル共通の知見・手法を使った上で、必ずどこか“自分ならでは”のクリエイティブな部分を加え、その時々のクライアントの文脈に合わせて、独自解を作り、実行する。そういうカスタマイズが必須の仕事なので、どうしても職人の世界に近くなるのだろう。

 誤解されるといけないが、BCGでも、これまでには、いろいろなトレーニングだのeラーニングなどが山ほど準備されてきた。ただ、そういうやり方で学べるのは、あくまでスタートポイントだけだ。

 付け加えておくと、BCGの“シニア職人”は、徒弟の親玉として、人を育てる能力を問われる。面倒を見た後輩が育たない人、アップワードフィードバック(部下からの評価)で育成がダメだと評価される人。こういう人は、いくら自分の腕が良くても、淘汰されていく仕組みができあがっている。

 チームで働く能力、チームをまとめ、かつ、伸ばしていく能力が、シニア職人には求められる。どことなく、質にこだわり続けるレストランのシェフ、あるいは料亭の親方の仕事に似ているようにも思える。

 さて、私の場合、36歳で職人の見習いを始めたことになる。これはなかなかきつかった。