身にしみて実感した敗戦

 ひとしきり家族と無事を喜びあったあと、

「ちょっと護国神社に行ってくるわ」

 と言い残して家を出た。

 出征前、あれほどにぎわっていた境内も、今はひっそり静まりかえって不気味なほど。夏草が茂り放題で、かつての面影はない。

 幸一は静かに手を合わせた。

「生かされたこの命の続く限り、日本の復興のために尽くすことを誓います」

 戦場に散っていった戦友たちを思い、冥福を祈るとともに、彼らの分まで生きることを誓った。一つの区切りができたことで、明日を生きる勇気がわいてきた。

 ところが……である。ここで彼は忘れがたい光景を目にすることになる。

護国神社で誓った<br />女性への恩返し現在の護国神社。

 参拝を終えて参道を戻ってくる途中のこと、草むらの中でがさっと音がした。戦場経験から、こうした物音には本能的に身構える習慣がついている。腰を落とし、目を凝らして音のした方向をうかがうと、そこにいたのは米兵と派手な化粧をした日本の女性だった。

 強姦されているわけでないのはすぐにわかった。大和なでしこと言われた日本女性が、よりによって護国神社の草むらで米兵と戯れている。そこから四条あたりまでひたすらに駆けた。悲しく、情けなかった。

 言いようのない衝撃を受けた塚本は、その時の気持ちを後年こんな風に語っている。

 〈いままで敵であったアメリカ兵が、派手な衣装に真っ赤な口紅を塗りたくった、毒キノコのような日本女性を抱き、戦友の眠る境内で堂々と接吻をしているんです。私は怒りでふるえる胸をおさえ、逃げるようにその場を立ち去りながら、女はあれじゃいけない、と口でくり返していました〉(『潮』昭和50年3月号)

 だがしばらくして、幸一に別の思いが去来する。米兵に身を任せても生き残ろうという気持ちにさせたのは、敗戦であり、ひいては自分たちの責任ではないか……。

 しかも、自分がこうして生きてふたたび日本の土を踏めたのも、考えてみれば周囲にいた女性たちのおかげである。

 幹部候補生試験で乙種合格に甘んじ悔しい思いをしたが、甲種合格者は部隊の先頭に立って指揮をすることが多く戦死率も高い。彼は乙種だったおかげで命拾いした。

 N女とのラブレター事件のために乙種となり、浙東作戦ではK女が身代わりとなって命を救ってくれた。

 〈私にとってはN女とK女は、身代り菩薩である。そう思わざるを得ないのである。〉

 彼は『塚本幸一 わが青春譜』の中でそう述懐している。

 女性へのさまざまな思いが、知らず知らず幸一の中で積み重なっていた。

 だがこの頃の彼はまだ、自分が将来、女性下着で天下を取る男になろうとは夢にも思っていない。