イギリスのEU離脱が決まった6月24日はロンドンにいた。そこからEU本部のある「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを経由し、フランスでヨーロッパサッカーの祭典EURO2016を観戦して先週帰国したのだが、正直、日本でのブリキジット(Brexit)の報道には違和感がある。
日本ではなぜか、EU(欧州連合)は無条件に「善」で、そこからの離脱を求めたイギリスのナショナリストは「悪」にされている。この善悪二元論はヨーロッパやアメリカの論調で、イギリスではEU残留派も、国民投票の結果が出たあとは民主的な決定を受け入れ、国益を損なわないかたちで有利な離脱を達成する現実的な方策を議論していた。しかし日本に伝えられるのは、「スコットランドがEU残留を求めてイギリス(グレートブリテン)が解体する」とか、「(EU負担金がなくなれば財政難の国民保険サービスに出資できる、などの)離脱派の「公約撤回」に怒った残留派が国民投票のやり直しを求めてデモをしている」とかの、「EU離脱=大失敗」のステレオタイプばかりで、なぜEUがこれほどまで嫌われるのかはわからないままだ。
離脱派のプロパガンダに問題があることは間違いないとしても、「EU=善」の一方的な視点では、イギリス国民の半分は「主権回復」を煽り立てるポピュリストに騙された「馬鹿で間抜け」になってしまう。アメリカやヨーロッパのメディアといっしょになって「大英帝国の栄光にしがみつく時代錯誤のイギリス人」を嘲るのは気分がいいかもしれないが、それだけではいまヨーロッパで起きていることは理解できないだろう。
そこでここでは、ロジャー・ブートルの『欧州解体』(東洋経済新報社)に拠りながら、「離脱派の論理」を見てみたい。ちなみに著者のブートルは下院財務委員会の顧問を務めるなどイギリスを代表するエコノミストの一人で、いちはやく「EU離脱」の経済合理性を主張した離脱派の理論的支柱でもある。『欧州解体』の副題は「ドイツ一極支配の恐怖」となっているが、内容は「イギリスはなぜEUから離脱すべきか」の首尾一貫した主張で、いまならこちらのほうがタイムリーだろう。

なぜイギリスの国民投票は平日の6月23日だったのか?
本題に入る前に、今回の国民投票がなぜ6月23日なのか、という日程の謎について私見を述べておきたい。
日本では選挙は日曜日に行なわれるが、日曜が安息日とされるキリスト教圏では平日の選挙も一般的だ。イギリスの場合は通常、木曜日に選挙が行なわれ、郵送での投票はできるが電子投票は認められておらず、日本と同じく居住地の指定された投票所でしか投票できない。そのため投票時間は午前7時から午後10時と、出勤前や帰宅後でも投票できるよう配慮されている。
だが6月23日という日程には、木曜日という以外にもうひとつ大きな特徴がある。EURO2016のグループリーグが22日に終わり、決勝リーグが始まる25日までの2日間はゲームがない。今回のEUROにはイギリスからイングランド、ウェールズ、北アイルランドの3チームが出場しており、このうちウェールズと北アイルランドは初出場だ。試合の日はサポーターが大挙してフランスに押しかけ、大規模なパブリックビューイングも行なわれて、選挙どころではなくなる。試合がないことがあらかじめわかっている2日間で投票と開票を行なうのはきわめて好都合なのだ。
しかしそれでも、やはり疑問は残る。デイヴィッド・キャメロン首相は、2015年の総選挙に勝ったら「EUに残留するか離脱するかの国民投票を行なう」と公約したが、今年6月までと期限を切ったわけでなく、秋でも来年でもかまわなかった(当初は2017年中とされていた)。イギリスの運命を決めるきわめて重要な選挙をわざわざこの窮屈な日程にしたのは偶然ではなく、EURO2016がEU残留を後押しすると期待したからではないだろうか。スコットランドを加えた連合王国(グレートブリテン)4地域のうち3地域がEUROに出場するのははじめてのことで、グループリーグの勝敗にひとびとが熱狂することは間違いない。それが「イギリス」と「ヨーロッパ」のつながりを意識させて、EUに留まる選択をするひとが増えると考えたとしても不思議ではない。
結果は、出場3チームすべてがグループリーグを突破するという期待以上のものだった。だが北アイルランドと(EURO出場を逸した)スコットランドで「残留」が多数派を占めたものの、イングランドとウェールズは「離脱」を選んだのだから、この戦略が奏功したとはいえない。
今回の国民投票をキャメロンの「火遊び」と揶揄する向きもあるが、これは正当とはいえないだろう。
2014年1月に100名ちかい保守党の国会議員がキャメロンに手紙を送り、英国議会がEUの規制を覆せるようにすることを求め、2015年5月の総選挙の時点では、勝利と引き換えに国民投票を約束しなければ政権を維持できないところまで追い込まれていた。2014年の欧州議会議員選挙でイギリス独立党が保守党・労働党を抑えて第一党になったことで、与党である保守党内の離脱派の圧力は極限まで高まっていたのだ。
国民投票がどちらに転ぶかわからない大接戦になることはあらかじめ予想されており、なんとか残留を勝ち取るためにあらゆる可能性を考え、千載一遇の機会としてEURO2016まで利用した。選挙直前には、EU残留派の女性下院議員が「ブリテン・ファースト(英国第一)」と叫ぶ男に銃撃されて死亡する悲劇が起きた。そう考えれば、問うべきは、これほどまで有利な条件が揃ったにもかかわらずなぜ「離脱派」が過半数を上回ったのかだろう。
それを理解するためにこそ、「離脱派はポピュリストに踊らされた大馬鹿者」という偏見を捨てて、彼らのEU批判に耳を傾けてみることが必要なのだ。

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