はじめてブリュッセルを訪れたとき、路上のゴミや落書きなどのすさんだ感じに驚いた。街の再開発は進められているものの、その一方で中心部のオフィスビルの多くが空室になっているなど、景気の低迷はいたるところで感じられる。ストライキも頻発していて、私が訪れた日は地下鉄やバスなどすべての公共交通機関が止まるゼネストで、その翌日にはブリュッセル空港の手荷物検査の係官のストライキがあり、混乱が予想されると観光客に注意喚起が出されていた。


フランス国民の3人に1人がすくなくとも祖父のうちの1人が外国人
ヨーロッパが抱える「テロ」と「移民(難民)」についてはすでに多くが語られているが、はっきりしているのは、単純な解決策はどこにもないということだ。
そこでここでは、いくつかの事実を挙げるにとどめたい。
ヨーロッパのなかでもっとも早く人口が減少しはじめたフランスは移民の歴史が長く、最初はポルトガルやスペインなどラテン系諸国から、次いで旧植民地のマグレブ地方(北アフリカのアルジェリア、チュニジア、モロッコ)や西アフリカから製造業などの労働者として多くの移民を受け入れ、冷戦終焉後は東欧に加え中国などアジアからの移民も増えている。
その結果、フランスの人口に占める移民の割合はきわめて高い。「出世時に外国籍で、かつフランス国外で出生した者」という狭義の移民だけでも400万人と生産年齢の10%に達し、フランスで生まれた移民の子ども(自動的にフランスの市民権を与えられる)や孫たちまで加えるとその数は大幅に増え、「6000万人の国民の3人に1人が、すくなくとも祖父のうちの1人が外国人」という移民大国になった(正確な統計がないのは、市民権を持った者は統計上は「フランス人」として扱われ、移民2世や3世の実態がわかりにくいからだ)。
その規模を考えれば、フランスが「もっとも移民の統合に成功した国」のひとつであることは間違いない。一例としては、「あなたの娘が、ヨーロッパ系ではない外国の男性と結婚したいと言ったら、あなたはどうしますか?」という問いに54%が「何も問題はない」と答え、「ショックを受け、反対するだろう」と答えたのはわずか10%だった(ミュリエル・ジョリヴェ『移民と現代フランス』集英社新書)。
初期にフランスに移民したスペイン系、ポルトガル系がほぼ完全にフランス社会に統合されたことで、マグレブ地方からやってきたムスリムの移民も時間がたてば同じように統合されるだろうと、当初は楽観的に考えられてきた。
アルジェリア独立戦争(1954~62年)が終わると北アフリカから大量の移民が押し寄せ、70年代の石油ショックによって移民の流入を抑えることが喫緊の課題になった。その後、パリやリヨンなど都市郊外の大規模団地にマグレブ系移民が集住して治安が悪化し、若者たちの暴動が多発したことでフランス社会のムスリム移民に対する視線は決定的に変わり、移民排斥を求める国民戦線(FN)の台頭を招いた。
こうした事態に、フランス政府も手をこまねいていたわけではない。
1988年、社会党のミッテラン政権は「参入最低所得(RMI)」を導入した。これは「25歳以上のすべてのフランス人を対象として、世帯収入が最低所得(日本円に換算して、単身世帯で月額約6万円)に満たない場合、その差額を支給する制度で、以下のように説明される。
給付を受ける者は県との「参入契約」に署名し、職業活動もしくは社会活動(コミュニティ活動、ボランティアなど)に従事する義務を負う。一方県の参入委員会は、アソシエーション、企業などの協力によって、受給者に参入機会を保障する義務を負う。この政策の特徴は、個人と公的機関との「契約」にもとづき、公権力がすべての個人に「参入への権利」という新たな社会権を保障する、という点にあった(田中拓道「フランス福祉レジームと移民レジーム」中野裕二他編著『排外主義を問い直す』〈勁草書房〉所収)。
この参入最低所得制度は、2008年に右派のサルコジ政権のもとで、受給者に就労活動を義務づけるとともに、就労によって得た所得を上乗せする「活動連帯所得(RSA)」に統合された。RSAの基礎給付と活動給付を合わせた受給者は2013年で210万世帯(440万人)にのぼり、単純計算ではあるが人口の7.3%、15歳以上65歳未満の生産年齢人口では10%を超えている。
フランスの貧困対策は、なんらかの理由により生活するのにじゅうぶんな所得を得られない25歳以上の国民すべてを救済の対象にする、きわめて寛大なものだ。受給者の多くは都市郊外に住むマグレブ系移民(およびその子どもたち)とされるが、これも移民ごとの統計がとられていないため正確な数字はわからない。
典型的な受給者は、高校を中退し、さまざまな職に就いたり辞めたりしながら20代半ばを迎え、学歴と職歴から就職活動で採用される見込みがなくなって働く気力を失ってしまう、というケースだ。彼らの多くは25歳を迎えるとRSA(生活保護)を申請し、家賃が払えないため親元で暮らすようになる。
社会からドロップアウトし、福祉で生きていくほかなくなった彼らを苦しめるのは、実は「(白人の)市民社会の差別」ではない。アラブ系の名前による就職差別があることは間違いないが、この時点で彼らは主流派白人との接点をほぼ失っており、その生活圏は同郷の移民たちが暮らす郊外の大規模団地にかぎられているのだ。
RSAの受給者は、移民たちのコミュニティのなかで「負け犬」のレッテルを貼られることになる。移民コミュニティでも商店や中小企業などさまざま経済活動が営まれているが、福祉の世話にならなければ生きていけない者を誰も雇おうとは思わないし、自分の娘がそういう落ちこぼれとつきあうことも許さないだろう。
このようにして、25歳にしてその後の50年以上の人生がすべて見通せてしまうという残酷な状況が生まれる。だがこれを、フランス社会の責任と決めつけることはできない。フランスの福祉は日本よりずっと充実しているが、平等で寛容な社会だからこそ、それでも自立できない者はより徹底して排除されるのだ。
絶望のなかから、「神からの啓示」を受けて人生そのものをリセットしようとする若者が現われるのになんの不思議もないと、私には思える。

橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。最新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社)が発売中。
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