火花散らす中村と川口

 川口は入社すると猛烈な勢いで働きはじめた。

 夜行列車の乗り継ぎもものともせず、北海道の販路開拓に乗り出した。青函連絡船では一番安い船底の3等船室に寝る。当時は衛生状態が悪いためシラミを移され、寒い北海道なのに慌てて下着を捨てるといった災難にも遭ったがめげなかった。

 北海道の市場は処女地に近い。

「京都から来ました」

 というと、同情もあって10軒に1軒は買ってくれた。

 夜行だと京都には明け方に帰ることになる。警官の職務質問に引っかかることもあった。いかつい身体に模造真珠のネックレス。いかにも怪しいということでしつこく尋問され、9時を待って会社に電話を入れ、ようやく“釈放”してもらうという武勇伝も残している。

 入社からの5年間、川口はこうして日本中を新規開拓のために駆け巡った。

 川口から少し遅れて入った中村も負けていない。

 粂次郎から帳面づけを引き継ぐと、これまで塚本家の家計と会社の経理が一緒になっていることに気づき、まずはこれを分離した。その上で和江商事の資産を整理し直し、近代的な経理を導入したのだ。

 中村の能力からすれば、いささか牛刀をもって鶏をさくような観なきにしもあらずだったが、これで会社の資金繰りがはっきりわかるようになった。

 中村にとって救いだったのは、経理の水増しなどが一切なかったことだ。幸一も八幡商業で経理の基礎は学んでいる。我流だったが月に1回店を休んで棚卸しをするなど、彼なりに一生懸命やってきたことが見て取れる。幸一の商売に対する真摯さには好感が持てた。

 東京商科大学で学んだ中村の経理・財務の知識は幸一の遠く及ばないところであり、川口の営業力は時としては幸一をもしのいだ。

 彼らの能力の高さは、社員が1万人ほどになり、グローバル企業となったワコールの副社長としても、まったく問題なく通用したことで証明されている。2人が、10人に満たない会社の番頭格として入社してくれたことこそ、ワコールの奇跡の快進撃の始まりであった。

 この3人の出会いは、『三国志』の中で劉備玄徳が、関羽や張飛と桃園の誓いを交わす場面のような、ドラマチックで運命的なものを感じる。

 ところが実際には、三国志の3人とは少し違う、微妙な人間関係がそこにはあった。

 参謀役の中村に対して現場で汗をかく川口。時として冷たいとも言われた中村に対して人情家で知られた川口。何かと比較されることとなったこの2人の間には、性格の違いもあってしばしば見えない火花が散った。同級生であるだけでなく、同じ八幡商業柔道部の出身であったにもかかわらず、中村と川口が仲良くなることは一切なかったのだ。

 2人がどちらが右腕であるかをめぐって激しいライバル心をむき出しにするのを、幸一は敢えて見て見ぬふりをしていた。

 トロイカ体制というのは3人が力を合わせる図式のはずだが、幸一が中村と話すときは中村とだけ、川口と話すときは川口とだけで、3人で会議というのはまったくなかった。

 会社が大きくなってからはなおさらだ。パーティーぐらいでないと、3人が顔を合わせることはない。広報担当者は一生懸命3人一緒のところを写真に収めようとするのだが、カメラマンが3人寄り添ってくださいといくら言っても、微妙な距離感が埋まることはなかった。そしてそんな時は、いつも幸一が真ん中に入ることとなった。

 当然、幸一も気を遣う。中村と2人で、あるいは川口と2人で飲みに行くことはできない。幸一が会社の人間と飲むことがほとんどなく、祇園に入り浸るようになるのは、あるいはこの2人との関係があったからかもしれない。

 幸一をいやしてくれるのは男の友情ではなく、社内外を問わず、やはりあくまで女性だったのである。